ここへおいで



「ふぁああああ……」
「なんだよ、その大あくび。俺さまのお相手はそんなに退屈かねぇ?」

 答えようにもあくびが治まらず、片手で口を覆いながらロイドは首を振った。はぁと溜息を吐いて、目尻の涙を拭う。
 昨日は遅くまでアドリビトムの依頼をこなしていて体は疲れ切っていた。帰宅早々眠りについた訳だが、ゼロスとの約束を守ってこうして朝から出向いたのだ。当然、睡眠時間は足りていない。

「昨日遅かったってーのは聞いてるけど、約束は約束っしょ〜」
「わーかってるって! だからちゃんと来ただろ!」
「そうそう、その元気」

 ゼロスはうんと伸びをすると、まだあくびと戦っていたロイドの先を歩き出した。


 世界樹の麓から幾らか南東へ進んだ小さな森の中に、ゼロスの屋敷がある。親が金持ちだとか何とかで、辺鄙な所に住んでいる割には良い暮らしをしていた。圧政に苦しむアイリリーの住民がこの暮らしを見れば、それこそ垂涎ものだろう。口を開けば食事のことばかりいう赤毛の彼にばれたなら、二度と二人きりでの晩餐は迎えられないに違いない。
 ゼロスの事を知っているのはアドリビトムの中でも少数で、ロイドの親友であり幼なじみであるジーニアスと、その姉でロイドの担任教師であるリフィル。それから、不本意ながら知られてしまったのがアイリリーのアドリビトムのリーダー、クラトスだ。
 クラトスに知らせるつもりはなかったが、帰りの遅い日が続いて怪しまれ、あっさり見つかってしまった。ご丁寧にも自ら尾行してこの屋敷まで踏み込んできたのである。
 いくらなんでも横暴がすぎる、私情に入りこみすぎだと責めたが、九九すら怪しいロイドが口で勝てる相手などいるはずもない。言い合いに応じたのはゼロスで、以来二人の仲は宜しくない状態が続いている。
 もっとも、ゼロスはこの屋敷から出る事は滅多とないし、クラトスもギルドから離れない為に二人が直接会うことはない。
 ゼロスはアドリビトムの話をするたびに「またクラトスの嫌がらせか」と顔をしかめ、クラトスはロイドが依頼以外で出掛け帰りが遅くなるたびに「またあのいけ好かない男か」と説教をはじめる。
 結局のところ、ロイドの一人負けだ。


 辺りを見まわしてから扉に鍵を掛け、ゼロスは真っ直ぐに自分の部屋へと歩いていった。その背中を追って歩きながら、ふらふらと視界が揺れる。
 眠い、眠い、昨日の依頼の報告は済ませたっけ、もしまだならまた先生に叱られる…。
 ロイドの頭の中は靄がかったまま、まどろんでいた。

「おいおい、ロイドくん、立ったまま寝るなよ?」
「寝てねぇよ、眠いんだよ」
「分かった分かった。そんなんじゃ、話しても右から左だろうしな」

 ロイドが部屋に入ったのを確かめてから、ゼロスはさっさと着替えだした。着替えた服はというと、上等な布で織られた寝間着。つまり、パジャマだ。入口でぼうっと立っていたロイドにもクロゼットから取り出した服を放り投げる。

「……え、お前、寝んの?」
「今日は俺さまに添い寝! 今日しようと思ってた話は、また今度にしてやるよ」

 ああ、俺さまやっさし〜!
 そう言ってベッドに潜りこんだゼロスは、きちんと端によって一人分のスペースを確保してみせた。眠さのせいか、どうも頭が回らないロイドは一先ず着替え始める。
 眠い、寝間着、ベッド、添い寝……。
 違和感があったものの、何も考えられない。とにかく眠い。

「ほらほらロイドくん、はやくぅ」
「キモチ悪ぃ声だすなって」

 布団の中へ潜りこむと、まだシーツは冷たかった。
 きちんと睡眠をとったはずのゼロスもあくびをしている。身を丸め、既に瞼の閉じ掛けたロイドの隣で、ゼロスは至極つまらなそうに溜息を吐いた。

「あーあ、あくびって移るもんだねぇ。色気のないこと山のごとし……」
「なあ、いいのか? 本当に寝るぞ」
「おーおー、たーんとお眠りなさいな。俺さまがロイドくんの安眠を保証しようじゃないの」
「……サンキュー」

 許可が出たならためらうことなどない。
 まぶたを下ろしただけで、視界も意識も暗転していった。



 寝息が立って数分、ゼロスは湧き上がる眠気に耐えてロイドのことを見ていた。

「アドリビトムが、依頼がってさ。お前、最近付き合い悪いじゃねーのよ」

 退屈な軟禁生活に勝手に転がり込んできて、拒んで突き出した手さえすり抜けて、心をかき回して、そうしてゼロスの全てを奪っておきながら放っておくなんてあんまりだ。
 いつか、来世でもいい。ロイドに並び立つ日が来るよう願っていた。そんな仮定の話を夢想してしまうほどには参っている。だから、ロイドはここへこなければならない。ゼロスを構いに来なければいけないし、ゼロスに構われなければだめだ。

 布団は既に二人の体温で暖まっており、当分抜け出したくない。
 これで今日一日はロイドを占領できそうだ。しめたと微笑み、ゼロスも瞳を閉じた。





(06.12.25.)