逃げ道は行き止まり



「ううっ……さ、さみぃーっ!」

 アルビオールから降りるなりそう口にして身を抱えたルークは、恨めしそうに青服の男をねめつけた。いかにも暖かそうな軍服の男は微塵も気にせずサクサクと新雪を踏み、街の門をくぐって行ってしまう。
 後から降りてきた女性陣が歩き出したのを確認して、ガイがルークの背を叩く。いまだ小さな文句を垂れ流しながらも、ルークは「分かってるよ」と答え、歩き出した。



「ルークならさっきスパに行くって言ってたよ」
「よっぽど寒さが堪えたんだな。ありがとう、アニス」
「ガイも行くんでしょ。夜ご飯には間に合うように戻ってきてよね」
「ああ、分かってる。温もったらすぐ戻るさ」

 ロビーでの目撃情報を元に、一旦自室へ戻り水着やタオルを手にしてスパへ向かう。夕飯は軍部の者と定期連絡を取っているジェイドが戻ってからになるだろうから、それほど焦らず浸かっていられるはずだ。
 しっかりと温まらせ、よく髪を拭いて暖かい部屋着を着せれば、暖房の行き届いたホテル内で湯冷めすることもないだろう。あとは「この機会に疲れをなくそう」だのと、うまく言いくるめて寝かしつければ万事解決だ。
 よし、とひとつ頷いてガイはスパの扉を押し開いた。

「あれ、ガイも来たのか!」

 ガイを見つけたルークの反応はなかなか嬉しいものだった。誰もいないのをいいことに、浸かっていた浴槽からバシャバシャと水音高く駆け寄ってくる。慌ててこちらも近寄り、手を捕まえた。

「ルーク、走ったら危ないだろ」
「んなダセー失敗なんかしねーって」
「まったく……」

 顔を輝かせて喜んでくれるのはいい。駆け寄ってくるのも大歓迎だ。
 だが、それはそれ、これはこれ。危ない行為はさせたくない。
 手近な湯船に連れ込んで肩まで浸からせ、自分もやれやれと息をついた途端、ルークにおっさん臭いぞとつっこまれた。

「悪かったな。なにせ大きな子供を一人抱えてるもんでね」
「うわっ、嫌味」
「嫌味のひとつも言いたくなるさ。前にも言っただろ、どこかへ行くときは声を掛けて行けって」

 毎度探すほうの身にもなってみろと言いつつ湯を顔に引っ掛けてやった。仕返しに備え目を眇めたが、一向にルークは動かない。掛けた湯がおかしな所にでも入ったかと窺うが、そうでもないらしい。
 ルークは湯を滴らせながら、俯いて顔をしかめていた。
 湯にあたり火照った顔で、ルークは何か呟いた。彫像から湯船に注がれる湯の音で、言葉は届かない。
 ガイはルークに近づくと、肩に手を置き下から覗き込んだ。

「悪い、大丈夫か? 鼻にでも入ったか?」
「平気だよ。それより……よくもやったなっ!」
「なぶっ!」

 バシャン! と景気のいい音が響く。
 ゲヘゴホと咳き込むガイは、自分で口にした通り、湯が鼻に入って苦しみ悶える破目になった。ゲラゲラと笑いながら、ルークは逃げるように脱衣所へと走っていく。
 だから走るなって、と咳き込みながらも声を上げるガイを一度も振り返らず、置いていってしまった。




「ガイのやつ、子ども扱いしやがって……」

 ホテルが用意した暖かな部屋着に着替え、髪を拭きながら足早に部屋へ戻る。これをガイが見たらまたうるさく注意するのだろう。
 移動している間に髪が冷えるだろ、そんなことしてると風邪を引いちまうんだぞ。大体、みっともないだろう。ほら貸してみろ、拭いてやるから。
 昔からそうだった。紆余曲折あったが、結局のところガイはいつだってルークの傍にいた。

「言わなくたって、絶対見つけられるくせにさ」

 ルークの行動などお見通しの癖に、肝心なところで鈍い。
 足音が聞こえていた。誰なのかは分かっている。
 第一声はなんだろう。「ちゃんと髪は拭いたか」、「温かい格好をしているか」。何にしろ、ルークを気遣うものであるに違いない。
 誰にでも気配りをするが、誰にでも優しいわけではない。その優しさがどこからくるものか、胸に手を当てて考えてみればいい。ルークよりずっと長く生きているのだから、分からないはずはないのだ。
 知っていて、気付かぬ振りをしているのではないかと思うこともある。例えそうだとしても、ルークの知ったことではない。
 子供だからと線引きをして、そうしていつまでも逃げられるものか。親心だけでかまい続けている訳ではないことぐらい、ルークにだって分かる。

 足音は部屋の前で止まり、トントンと戸を叩く。ルークは立ち上がり、扉に手をかけた。
 部屋に招き入れてしまえば、もう逃げる場所はない。





認知して!
(07.1.14.//08.11.22.修正)