ずっと見てる



「あめあめ、ふーっ!」

 調子はずれの歌が続く。
 ガイラルディアは壁際に置かれた椅子に座り足を組み、膝に頬杖を突くという器用な姿勢でルークを見ていた。雨の日になるとルークは外に出ることはなく、もっぱら絵本や図鑑を眺めまわしたり今のように絵を書いたりしている。

「だらららーっ、やっ、てーっ!」

 今のお気に入りは、先日ルークの慰めにと披露された白光騎士団の演舞だ。大きな声を出す者を見るのは、少なくとも記憶を失ってからはなく、最初は驚いていた。しかし程なくしてその瞳は輝き、かっこいい、すげーの乱舞となった。
 だから、と言っていいのかどうか。ルークが床に座り込んで書いている絵は、途方もなく凄惨なものだ。黒の拙い線で書かれた「騎士」が、ルークの手に握られた赤いクレヨンの雨に打たれている。
 どうやら仕合で見た剣戟のきらめきや火花を表現しているらしいが、さながら血の雨だ。これはルークが自発的に書いたものであってガイラルディアの入れ知恵は一切ない。思うことがない訳ではないが、大人しく遊んでいてくれる方が助かるので黙って見ていた。

「ガイーっ」
「んー?」
「ねるな! ガイだめっ!」
「わ、バカ触るな! 服が汚れるだろっ!」

 ぼうっと伏目がちに見つめていたのをウトウトしているのだと勘違いしたらしい。クレヨンを放りだし、色んな色で汚れた手のままガイラルディアに飛びつきしがみ付いた。
 勢いで頬杖が崩れ、よろけたガイラルディアは椅子から転げ落ちる。ルークを巻き込まぬように体を捻ったせいで受身を取れず、したたかに打った臀部が痛んだ。

「いってぇ……。お前なぁ、危ないだろ! ケガしたらどうするんだ!」
「だってガイ、ねようとしてた!」
「寝てないって。ちゃんとお前を見てるよ」
「ねてないけど、ねそうだった!」
「ったく……」

 ひとつ息を吐いて叱ることを諦め、ガイラルディアはルークの体に手を沿わせた。両の肩を撫で、胸と背をさすり、足の関節は特に念入りに痛みがないか確かめる。
 普段は髪の手入れ一つじっとしていないルークも、黙ったまま動かなかった。それでも腹や足の付け根はくすぐったいのか、少し体を震わせていた。日差しの強い時は屋内にいる御身は、健康的ながらも透き通るように美しく、すべらかだった。

「痛いところはないな? 大丈夫か?」
「へーきだって。これくらいじゃケガしねーもん」
「そう言ってお前、こないだ転んだ時は痣出来ちまっただろうが」

 痣が出来ると、治ってもどうも他より皮膚の色がくすんでしまうのだ。奥様も心配されるんだから――そんな話を続けたが、ルークは口を尖らせてぷいっとそっぽを向いてしまった。

「それにしても……」
「なに?」
「――いや、そろそろお茶にしようか」
「おかし! おかしも!」
「分かった、貰って来るよ。ちょっとそこらへん片付けて待っててくれ」

 はぁい、とこんな時ばかり聞き分けの良いルークの返事を聞き届けてからガイラルディアは部屋を出た。廊下を進み厨房へ入ると、メイドの一人があら、と言って顔を綻ばせた。

「ルーク様のお茶ね? 今ちょうど準備したところなの」
「そりゃ良かった。ありがたく頂戴するよ」
「……ねぇ、ガイ」
「なんだい?」

 銀のプレートを持ったガイラルディアを、彼女は人差し指を唇に当て小首を傾げ、呼びとめた。にこにこと微笑むメイドを前に少したじろぎながらも、ガイラルディアは笑み返した。

「何か良いことでもあったの? なんだか嬉しそう」
「いや……」

 誤魔化そうとしたが、思い返して笑みが零れてしまう。いぶかしむメイドへ、逡巡して一言ひねり出した。

「ルーク様は、俺を見てくれてるんだなって」

 それが嬉しくて、とガイは微笑む。どういうこと、と問う彼女へ肩を竦めて誤魔化して厨房を後にした。
 廊下を歩く道すがら、美しく磨かれた銀のプレートに映る己の笑みの深さに身震いする。ガイが手ずから淹れてやった紅茶を飲み、手渡した菓子を頬張るルークのはしゃいだ顔を想像すると、更に笑みは深くなった。





お前のすべてを見ているよ
(06.12.08.//08.11.22.修正)