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「お帰り、ルーク」

 夜遅く宿に戻ってきたルークは、ロビーでガイに会った。ロビーは既に真っ暗で、従業員の姿はない。どうやら自分を待っていてくれたようで、テーブルセットの上には空になったカップがぽつんと置かれていた。
 もう日付は変わってしまっているだろう。待っているだなんて思わなかった。悪いことをした。知ってさえいれば、もっともっと早く帰ってきたのに。

「ガイ……。ごめん、待っててくれたんだよな?」
「とんだ放蕩息子だからな」

 さあ、部屋に戻ってさっさと寝るぞ。
 ルークが歩み寄ると、ガイは笑みを浮かべ立ちあがった。差し出された手を指先で摘むと、ガイは呆れて、それでも笑ってルークの手をしっかりと握り直した。

 すっかり冷えちまったなあ。
 今から風呂入り直したんじゃ風邪引くから、手だけ湯に当てよう。
 ルーク、何をへこんでるんだ。怒ってなんかいないぜ?

 冷たい指が、手の平が、ガイの体温を奪って温もっていく。無性に鼻の奥が痛んで、ルークはブーツの先を見つめて歩いた。ガイは危ないから顔を上げろと言ったが、それでもルークは、ガイが手を引いているから大丈夫だと答えた。



 桶に湯を並々と注ぎ、ベッドに越し掛けてそれに足を浸ける。先に湯で絞ったタオルで手を温めながら、しゃがみ込んで湯に手を浸し、ルークの足を擦るガイを見ていた。
 足が冷えると寝つけないものなんだ。
 部屋に戻るなりそう言って、ガイはあっという間に準備を整えた。
 こうしてマッサージすれば血行も善くなるから、布団に入ればすぐに眠れるさ。
 いつも通り人の好く笑みで、ガイは微笑んだ。寒さでかじかんだようにぎこちなくルークも笑い返す。

「ありがとな、ガイ」
「これぐらい何てことないさ」
「……サンキュ」

 タオルを膝に置いて、ルークはガイの頬に手を伸ばした。両手で包みこむようにそっと触れると、ガイは少しも驚いた様子はなく、ただ少し目を眇めた。そして自分の頬に触れた指先を視線だけで見て、心からの笑顔を、溢れるような、蕩けるような笑顔を見せた。

「ルーク。俺はな、本当に……本当に、心底お前が好きだ」
「……うん」
「深く考えると気が触れちまいそうなくらい」
「うん」
「愛してる。ルーク、愛してるよ」

 うん、とルークは答えた。けれど最後は声にならなくて、代わりに一つ涙が零れた。
 頬を伝い、湯桶に落ちる。ガイはその軌跡を目で追って、それから膝立ちになりルークの額にキスをした。親指で乱暴にまなじりを拭い、ぺちりと頬を打つ。

「おやすみ、ルーク」
「……ガイ」

 ベッドからずり落ちるように、ガイにしがみ付いた。屈みこんだ姿勢で、全身でガイに寄りかかった。
 とても暖かい。
 足元で、湯桶が倒れる音がした。



 床は片付けておくからとルークを布団に押しこめ、ガイは簡単に床に零れたぬるま湯をふき取っている。全てふき取ったと思った傍から、ここにも、あそこにも、水滴がぽたりぽたりと残っていて、それを追って拭き続けた。膝を着いて俯き、ただ床を拭く。
 無心で作業をしていたガイは、ふとベッドで眠るルークを見た。呼吸は穏やかで、口元には薄っすらと笑みが浮かんでいる。
 ああ、良かった。
 そう思った途端、またぱたりぱたりと音がした。視線を床に戻すと、水滴が増えている。これでは一晩中拭いてもキリがないなと、ガイは一人、目の奥が痛むのを感じながら微笑んだ。





(07.06.05./08.10.27.修正)