すべて手の上




「ポチ、こっち来てみ」
「なんですか?」

 組んだ足を机に上げ、成樹は明るい色の髪を軽く束ねながら自身の机上を目で指し示した。将が目線を追えば、そこには可愛らしい柄の布袋が何かをたくさん含んで無造作に乗っかっている。髪を結び終えると袋をわずかに摘み上げ、すぐに落とした。袋の中から聞こえた軽く擦れた音に将は一寸目を丸くした後、口を尖らせて顔をしかめる。聞こえたものは確かにビニール製の物が擦れた音で、すぐに中身の想像がついてしまった。
 菓子だ。もっと言ってしまうと、おそらく飴か何かの類だろうと将は見当をつけた。改めて確認するまでもなく、菓子類の持ち込みは校則で禁止されている。

「シゲさん、また!」
「もうえぇやん、毎度怒んのもめんどいやろ? はよ諦めて、黙って見逃すっちゅーことを覚えなあかんて。人生上手く渡らな。な?」
「な? じゃないですよ、もう……」

 反省のなさにかくりと項垂れる将を傍目に、成樹は喉の奥で笑いながら机に乗せていた足を下ろし袋を手に取った。中身は将の予想通り飴である。外装を捨て個別包装になっている中身だけをこの袋に移し変えたものだ。因みにこの中身は今朝登校の途中に買った物なのだがそんな下らないことでこれ以上将の機嫌を損ねるつもりは毛頭なく、当然のように成樹は胸のうちにしまい代わりに笑みを深めた。
 スピードくじを引くように袋の中を適当に探った後、適当な一つを取り出す。包装は密封ではなく両端を捻っているもので、それを左右に引っ張った。飛び出しかけた飴を器用に宙で掴み口に放りこむ。甘味の後からぴちぴちと弾けるような独特の、しかし慣れた味を舌で転がした。
 一連の挙動を見ていた将は呆れたのか諦めたのか、溜息と共に肩を落とし隣の椅子に腰を下ろした。

「別にケーキ買ってきた訳でもないんやし、そない顔しかめんでも」
「ケーキでもクッキーでも飴でも、お菓子はお菓子じゃないですか」
「女子やって、よーさん持って来とるやん。アレはええんか、アレは」
「今はシゲさんの事を言ってるんです! 女の子だって見つかったら怒られますよ」
「ほんじゃ、見つからんかったらええねんな?」
「シゲさん!」

 三日に二回はこんな応酬をしているのだからいい加減パターンを読めばいいものを、将は毎度こうして揚げ足を取られている。同じような誘導で同じようなトラップに引っ掛かるのは彼が骨の髄までオヒトヨシで出来ているからだろう。
 怒らんとってや、と笑って成樹は将の鼻先を中指で押さえる。ヘラヘラ笑いながらしなだれかかって顔を近づけると、将は少しひるんで口を一文字に結んでしまった。

「スマン、ふざけ過ぎたわ。飴ちゃん恵んだるから、そんな怖い顔せんといて」
「そう言って、反省したタメシがないですよね」
「優しい優しいカザは見逃してくれるやろ? チクれへんし、これ以上怒らへんし、俺からコレ受けとって『しょうがないですねぇ』とか言うて、笑ってくれるやんな?」

 耳元で言い含めるように囁いてから身を引き、片手に飴を取ってもう片方の手で将の手を取った。手に飴を押しつけながら「そうやんな?」と笑ってもう一押しすると、案の定小さな身体を更に小さく縮めてうなだれた。
 分かっていて折れてくれているのだろうが、恐ろしいほどの騙されっぷりである。

「ポチ、返事は?」
「分かりました……。分かりましたから、手、離して下さい」

 でも僕は食べませんからね、と言って押しつけられた飴を制服のポケットに押し込んだ将の顔は不服そうだった。成樹を止められない自分の甘さに落胆しているのだろう。悪いのはあくまで成樹であって将が落ちこむことではない。成樹がそういう性分なのだから仕方がないのだ。言ったところで割り切れる訳ではないのだろうが。
 部活が始まるまでは、将は成樹の目の届く範囲にいる。それはつまり、将の側からも成樹が見えているということだ。
 成樹にとっては頭髪の色や素行を注意されるなど慣れっこで大したことではないのだが、将に取ってはきっと緊急事態で重大事項なのだろう。桜上水に来る前は進学校にいたという話だし、きっと元々は頭の良いぼっちゃん思考なのだ。その馬鹿らしくなるまでの実直さと素直さが彼の売りなのだから、苦労も多いだろうがこれでいいのだと思う。ややお節介気味だが、それも愛嬌だ。
 人事でも首を突っ込むのはもう今更なのでそれに関してどうこう言うつもりなどないが、成樹の奔放な言動で毎度心配をかけているのは、小指の爪の先くらいは申し訳ないと思っていた。だからといって態度を改めようなどとは欠片も思わない。これがまた、たぶん問題だ。将にとってはこれも重大事項で、成樹にとっては大したことではない。
 机から足を下ろし今度は頬杖をついて片手で将の鼻を摘んだ。

「あにふるんでふか!」
「いや、こうすると鼻が高うなるんちゃうかと思て。ハハ、えらい不細工になっとるけど」

 茶化すだけ茶化して怒り出す前に手を離すと成樹は飴の入った袋をずいと将の眼前に突き出した。顔に当たると思ったのか反射的に後ろに仰け反った将に、にこりと微笑む。今度は何ですか、と疑る視線を流して袋を将の膝に下ろした。

「さっきポチにあげたんと同じ味の引けたら、珍しいモン見せたるわ。中見たアカンで。後ろ向いて引きや」
「え? ……はあ、分かりました」

 袋に手を乗せてから将は後ろを向いた。受け取った飴はよく見ないままポケットにしまっていたので取り出してみる。
 赤い包み。コーラ味だ。
 ポケットに戻すと手探りで袋の中に手を伸ばした。適当にガサガサとかき混ぜて手に取るが、何せ形は皆同じなのだから勘で引くほかない。

「よう選びや。チャンスは1回やで」
「コーラ味を引いたら良いんですよね。でも、珍しいものって何ですか?」
「当てたら見せたるて。ほら、はよ引き」
「……じゃあ、これ!」

 一つをぐっと握り締めて手を引いたのを見届けて、成樹は袋を取り上げた。袋の口を締めてかばんに放りこむ。将は律儀に背を向けたままだ。

「そんじゃ、こっち向いて手ぇ開いてみ」
「……はい」

 別に将自身は何も賭けてやしないのに、いつのまにか本気になり是が非でも当てたくなってしまっているようだ。ゆっくり振り返り、握り締めた自身の左手を見つめていた。手の甲を上にしているので中身は見えない。
 ちらりとこちらの顔をうかがう様子がおかしくて、成樹は込み上げる笑いを必死に押し殺しながら指でトンとその手を突いてみせた。

「開けてみ」
「うん」

 頷き、将はごくりと唾を飲む音が聞こえてきそうな程に真剣な顔でそっと手を開いた。
 現れたのは赤い包み紙。

「コーラだ! シゲさん当たりですよねっ!?」
「せやな。うん、おめでとさん」

 先ほどまで怒っていた飴を握り締めて喜んでいる。
 それには触れずに将の髪をわしゃわしゃと乱すと成樹は席を立った。慣れのせいか、抗議することもなく乱れた髪を手櫛で直しながら見上げる将の怪訝そうな顔を見下ろし、笑った。

「珍しいモン見せる約束やからな、よう見ときや」

 そう言うと成樹は勢いよく頭を下げた。将が慌てる気配を確認してから頭をあげ、困惑する少年の目をしっかりと見据え笑みを消して口を開く。

「いっつも飽きんと見とってくれて、ありがとうな」

 呆気に取られ薄く口を開いてこちら見上げている将の頭を軽くぽんと叩くと、かばんを取って足早に教室を出た。
 最初から次の授業を受ける気などなかった。
 扉をくぐった背に「どこ行くんですか」という上ずった声が掛かったが手を上げるだけで応えた。



 鳴り始めたチャイムと教室へ戻って行く生徒の流れに逆らいながら屋上へ続く階段を昇っていく。かばんから菓子袋を取り出すと、至極穏やかな心が少しくすぐったく疼いた。中から一つ、赤い包みを手に取る。

「ホンマに単純なんやから」

 笑いを噛み殺しながら屋上の扉を空け、日陰に腰を下ろすと袋の中身を全部床にばら撒く。広がる一面の赤を見るとしたり顔で笑み、やがて静かに目を閉じた。





(04.8.27.)