猫の恩返し





 秋になり、吹く風も冷たくなって朝夕の冷え込みも激しくなってきた。早朝に起きて布団を出るのはずいぶん勇気がいるようになったけれど、起床時間は変わりはしない。
 食事当番ではないとはいえ、千鶴はほとんど毎日早起きして食事当番を手伝うようにしている。伊東派の隊士などあまり近づかないほうが良いと言われている相手であれば避けるようにしているが、その代わりに境内の掃除をしているので結局起きるのはいつも同じようなものだ。
「んっ……」
 布団の中は自分の体温で暖かく、そこから起き上がるには毎朝えいやっと気合を入れねばならない。
「……ん?」
 だが、どうもその日は調子が違っていた。いつも通り、起きるぞと決めて起き上がろうとしたのに、まるで金縛りにあっているかのように身体が布団に縫い付けられていた。首は起き上がるのだが、それ以上身体を起こすことが出来ない。まるで上から何かに押さえつけられているかのようだった。
「……あ、あれ?」
 起き抜けの事態に戸惑いつつ千鶴がふと布団の上を見ると、ようやく金縛りの原因に気が付いた。布団の両脇から、千鶴の腹の上や足の上に突っ伏すようにして二人の少年が眠っている。彼らの重みで布団が抑えつけられていたのだ。
 そうしてほっと身体の力を抜いた千鶴が二匹に声を掛けるより早く、ネコビトの少年たちはぴくりと耳を振るわせて頭を起こした。千鶴が身じろいだことで目が覚めたのだろう。黒髪の間から耳を生やした少年は目をこすって大あくびをしながら伸びをして、こげ茶の髪の合間から耳を生やした少年はぐーっと腕を伸ばして伸びをすると、ハッと弾かれるように千鶴を振り返った。
「あっ! 雪村先輩、おはようございます!」
「……うん、おはよう。相馬君」
「先輩、おはよう!」
「おはよう、野村君」
 はにかんで微笑む相馬とニコニコと機嫌の良さそうな野村は、ようやく上半身を起こした千鶴の元へそれぞれ近づいてくると、両脇からしがみつく。時折こうして甘えてくる野村はともかく、相馬がこんなことをするのは珍しい――などと思う暇もなく、二匹に押された千鶴はそのままばったりと布団の上へと逆戻りになってしまった。目を白黒させる千鶴に構うことなく、相馬は「頭打ってないですか?」と彼女を案じ、野村は今めくったばかりの布団をせっせと被せてしまった。
 二匹に寝かしつけられた千鶴は目をぱちぱちと瞬かせながら寝起きの頭をぐるぐると働かせるが、千鶴に懐いていつもよくお手伝いをしてくれるこの後輩二匹が千鶴の足止めをする理由にはまったく心当たりがない。多少いたずら好きなところもある野村だけなら構って欲しくて遊んでいるのだろうかとも思うが、真面目で素直な相馬まで一緒になって、しかもその相馬には何ら後ろ暗いような様子が見られない。これは彼にとって、完全に良かれと思ってやっていることだということだ。
 千鶴を寝かしつけた二匹は満足そうにうんうんと頷くと、野村は腹に、相馬は胸の辺りに頭をそっと乗せてニコニコと千鶴を見つめている。ご機嫌な様子で二匹の猫の耳はピクピクと揺れ、大層愛らしい。
「……あ、あのね、二人とも。私、もう支度をしないといけなから」
「今日は当番だけでやるって!」
「先輩はゆっくり休んでいいんですよ」
「それなら、お掃除を」
「俺がやりました!」
「俺たち二人で掃き掃除は終わらせました。副長からもお許しを頂いています。先輩は、今日はお休みです」
 ニコニコと話す二匹の猫小姓は、長い尾を揺らめかせて千鶴を見つめている。二匹が千鶴の上に頭を載せているのは、千鶴の負担にならないように、けれど起き上がらないよう重しになっているつもりなのだろう。子どもほどの背丈しかないとはいえ、二匹がかりで押さえられては千鶴が抜け出すには難儀する。手荒なこともしたくはない。
 ひとまず起き上がるのを諦めた千鶴は、枕の上にもう一度きちんと頭をのせてから相馬を見つめた。
「どうしてお休みなの? 私、病気でもないしとっても元気なのに」
「今日は先輩の日だからです。それで、俺たち副長にお願いしたんです」
「副長、たまにはいいかって言ってたぜ! んで、責任もって先輩の面倒見ろって!」
 どうやら休んでいいらしいというのは分かったが、それにしても「先輩の日」というのはどういうことだろう。千鶴がここへ来た日でもなければ、二匹の先輩になった日でもない。
 困惑したままの千鶴に気付いた相馬が、頭を起こして千鶴の顔を覗き込む。ほんの少し近づいた顔は照れたように赤く染まりつつも、優し気な笑みが浮かんでいた。
「昨晩、藤堂さんや永倉さんがお話していたんです。明日は「いーいくじの日だ」って。どういう意味か伺ったら、雪村先輩のことだって仰ったんです。俺たち、先輩の日があるなんて知らなくて……それで、そういうことなら先輩にゆっくり休んで欲しくて副長にお願いしたんです」
「寝坊していいし、飯だって俺たちがここまで持ってくるし! 出掛けたかったら俺たちが護衛するし、何でも言ってくれよな! 先輩!」
 相馬に倣って、彼とは反対側から千鶴の顔を覗き込む野村も気持ちの良い笑顔でにっこりと笑ってそう言った。言ったはいいが、意味は恐らく分かっていないのだろう。しばらく驚いて固まっていた千鶴も、意味をようやく理解すると、笑って布団の中に顔をうずめた。
 要するに、「良い育児の日」なのだろう。自分たちが子ども扱いされていると知ったら、相馬も野村も恥ずかしがったり怒ったりするに違いない。ネコビトの彼らは外見は子どものようでも、もう立派な大人なのだ。相馬も野村も、実年齢は千鶴より三つ四つ上だと言うから、初めて聞いたときは驚いたものだ。とにかく、これは内緒にしておこう、と胸に誓う。
 ともあれ、二匹が千鶴を想ってせっかく休みを用意してくれたのだ。これを無碍にするのは申し訳ない。今日は二匹の言う通りにしようと決めた千鶴は、布団の中から手を伸ばして二匹の頬をそっと撫でた。
「二人とも、寒くない? お布団出そうか?」
「へ、平気です!」
「えっ、俺寒い。先輩の布団入れて欲しい」
「ばか、野村!」
「ふふふ。……うん、いいよ。二人とも、一緒に寝よっか」
 恥ずかしがって狼狽える相馬を抱き寄せて布団の中に招いている間に、反対側から野村が潜り込んできて、千鶴の布団はあっという間にこんもりとふくらむ。視界の端で布団の中から飛び出た野村のしっぽが畳をぱたんぱたんと楽し気に叩いていた。
 千鶴の体温で温まった布団の暖かさに二匹はそっと安堵の息を吐き、千鶴は真っ赤になって固まっている相馬の頭をゆっくりと撫でてやる。そうしている内に心地よさそうにしがみ付いてくる小さな背をとんとんとゆっくり叩いてあやしていると、本当に子どもの面倒を見ているような気持ちになった。
 千鶴の腹に腕を回してぎゅっとしがみついて目を閉じている野村の頭も撫でて、千鶴は小さくあくびをする。冷えていた二匹の身体もすぐに暖かくなり、くっつかれている千鶴はその温かさで急速な眠気に襲われていた。
「おやすみなさい、雪村先輩」
「……うん……」
「俺たちが傍にいますから、大丈夫っすよ」
 そうだね、と返すことも出来ず眠りに落ちる千鶴の足に、二匹の足と尾が絡みついていた。





当日の金ローが「猫の恩返し」、ワンライお題「家族」
(16.11.18.)