相馬厄難物語・その後





 夕食も終わった頃になって近藤と共に帰ってきた千鶴は、松本から貰ったという菓子を出して相馬と野村から今日のことのあらましを聞いていた。本来は当番ではなかったはずの二人が夕飯の後片付けをしていたのを見かけたのでおかしいとは思っていたのだが、まさか幹部まで巻き込んだ大事になっていたとは。お茶に誘った二人の様子がおかしかったのもこれが原因かと、納得しつつ苦笑する。
 今日の会合の結果を伝えるため近藤が土方を部屋に招いて、千鶴はその場へ茶を出してきたのだけれど、土方が妙に軽い苦笑いを見せていたのが気になっていたのだが、こういうことだったらしい。きっと今頃、近藤は土方から今日の出来事を聞いて笑っているのだろう。
 土方からは「しばらく二人が落ち込んでるかもしれねえから、少し気をつけて見てやってくれ」と言付かっている。土方や近藤が暖かく見守ってくれている優しさに暖かい気持ちになりつつ、消沈した様子の相馬と少し拗ねたような野村に茶のお替りを淹れてやった。
「大変だったみたいだけど、土方さんは許してくださったんだし、二人ともそう気を落とさないで。ね?」
「いえ、ですが……結局俺たちがもっと早く打ち明けていれば、ここまで大事にはならなかったはずです。寛大な処分には感謝していますが……」
「一時は本当にどうなるかと思ったもんなぁ。相馬はすーぐ腹切るって言うし、ほんと、止めるの大変だったんですから!」
「野村、おまえはもっと反省しろ! 永倉さんのことだって、雪村先輩が間に入って止めてくださらなかったらどうなっていたことか……!!」
「ふ、二人とも落ち着いて! 相馬君、このお菓子ね、松本先生が珍しいものだって分けてくださったんだよ。甘くておいしいの。食べてみて? ほら、野村君も!」
 すぐに喧嘩になりそうな二人を宥め、千鶴は茶と菓子をやや強引に勧める。
 二人の性格を考えれば当然かもしれないが、相馬は処分を下され、幹部からのお叱りも回避した今になってもずいぶん気に病んでいた。対する野村はといえば、どうにか難を逃れたことを心底ほっとしているようだ。もちろん己の保身のためだけではなく、その安堵は一緒に騒動の渦中にあった相馬のことも含んでいるのだけれど、相馬は納得できないらしい。生真面目で正直者の相馬にとっては、事情があったとしても嘘をついて騙した挙句に巻き込んで迷惑をかけたことは、どんな理由や罰を与えられてもすぐに承服できるものではないのだろう。その不器用さも、相馬の良いところではある。相馬がこうして自分で反省するから土方もさほど厳しい罰を与えはしなかったのだろう。
 それに、怒り心頭の永倉たちを宥めたときに平助たちからも事情を聞いたのだけれど、やはり相馬と野村だけが悪いとは思えない。もちろん永倉へ罪を擦り付ける形になったことは弁解のしようもないのだけれど、事の顛末のすべてをひっくるめて二人に罪を問うのは重すぎる。
 稽古という体裁で徹底的に叩きのめそうとしていた永倉を必死に宥め、千鶴も一緒になって謝り、原田や平助も――相馬と野村の為というよりは、外出から戻るなり相馬たちの分まで必死に謝る千鶴を見かねたのだろうけれど――永倉をどうにか宥めてくれたので、どうにか事を収めることが出来た。
 だからあとは二人がこれから当分、罰として仰せつかった一か月の掃除と食事の当番をしっかりとこなすこと、そしてこれからの働きで真摯に応えていくことだ。
 のんきに菓子を食べる気分ではないのだろうけれど、千鶴の意を汲んで小さな砂糖菓子を舌の上で転がしている相馬と野村に、千鶴は改めて向き直ると姿勢を正した。
「あのね、明日、改めて近藤さんと土方さんのお部屋の掃除をさせてもらおうと思うの。二人も一緒に手伝ってくれる?」
「えっ……俺たちが、ですか?」
「昨日の今日で、さすがに入れてもらえねえんじゃ……」
「私も一緒にお願いするから。それで、一緒にお部屋をきちんと綺麗にして、今日の騒ぎのお詫びをしようよ。そうすれば、二人の気持ちもきっとすっきりするから」
 掃除をすれば気持ちまですっとするのは、千鶴もよく分かっていることだった。それに、頭で考えるより、反省や詫びの気持ちを行動で示したほうが二人にとってもきっと効果的だろう。一か月の当番はやり遂げるまで罪を償った実感が湧かないだろうし、きちんと形として残る成果を一つでも上げておけば、気持ちを入れ替えた上でいつもの隊務にも当たれるはず。
 まだ入隊して日の浅い相馬や野村にこのまま畏縮して欲しくはない。近藤も土方も二人には何か感じるものがあるようで、かなり見込んだ上で隊士としてしっかり育てたいと思っているのは千鶴にだって分かる。それに、二人を指導する立場になった千鶴は、まだ数日とはいえ二人とずいぶん親しくなった。後輩のために何かしてあげたいと思うのは当然だ。千鶴だって新選組へ来た当初は周りの人にずいぶん助けてもらった。こんなときこそ、二人の力になりたい。
 千鶴の申し出に相馬も野村も顔を見合わせていたが、やがて揃って頷いた。
「雪村先輩、お手数をかけてすみませんが、どうか仲立ちをお願いします」
「今度こそ、完璧に掃除します!」
「うん。それじゃあ、明日の朝にでも土方さんにお話しておくね。それと、後は……そうだ、明日の献立を考えておかなくちゃ。何を作るかはもう決めた? 私も手伝うけど、朝はあまり手の込んだものは避けたほうが……」
「ま、待ってください!」
 書物から書き写したりして溜めている料理の書き付けに手を伸ばした千鶴に、相馬が慌てて口を挟む。料理の本を手にきょとんとしている千鶴を前に、相馬は申し訳なさそうな顔で首を横に振った。
「先輩、一か月の食事当番は俺たちに与えられた罰です。先輩に手伝ってもらうなんて、そんなこと出来ません」
「でも……」
 相馬ならこう言うだろうと、半ば予想できていた。だから千鶴は、少し考えてから言い方を変える。
「土方さんは、一か月、隊士全員分の洗濯と食事当番をするように言ったんだよね?」
「はい。ですから、俺と野村で……」
「私の隊務は、相馬君と野村君に雑務全般を教えて、面倒を見ることだよ。二人が洗濯や料理をするなら、私が手伝うのは当然でしょう? これは、副長付小姓として私に与えられた隊務なんだから」
「そ、それは……ですが……」
 屁理屈なのは分かっている。きっと、二人への罰なのだから手伝わないと、千鶴がそう言えば土方は別に何も言わないだろう。洗濯や料理以外にも千鶴がやるべき雑務は山のようにある。けれどいくらなんでも、二人だけで一か月も続けるのは大変だろう。罰として与えられたことだけをこなして過ごす訳ではないのだ。二人同時に作業に掛かれないことだって考えられる。稽古でくたくたになった後、あるいは近藤の供をするぎりぎりまで洗濯や料理に追われていては本来の隊務にまで支障をきたしかねない。
 更に言えば、洗濯はともかく料理は相当難しい。調理自体二人はまだ覚束ないところがあるのに、献立まで考えるとなると事だ。新選組は毎日食材を買い足しているわけではないし、使える材料には限りがある。予算だって有限だ。失敗をなくした上で、痛みやすいものは早く、けれど一度に大量に使うのではなく保存食にしたり、煮炊きして日持ちするようにしたりする必要がある。同じようなものばかりでは食べる隊士たちが飽きてしまうし、栄養の偏りがないよう気を配らねば体調を崩す隊士だって出かねない。
 そんなところまで考えて、さあ毎日二人だけで頑張りなさいというのはあまりにも酷だ。
「あくまで私は手伝うだけで、支度自体は二人が中心になってやってもらうよ。私が手伝うのは献立を考えたり、調理の難しいところとか、手が足りないところだけだから。それなら二人はいつもよりずっと大変だし、きちんと罰にもなっていると思う」
「確かに、俺たち二人が何作るか考えるの三日で行き詰まりそうだよなぁ……」
「いや、三日ももつか分からないぞ。……何から何まですみません、雪村先輩」
「ううん、いいの。気にしないで。……そうだ! もし気が咎めるなら、少し難しい料理に挑戦してもらうのはどう? 昨日までは簡単なことしか教えてなかったし」
「お、それならちょっと罰っぽいですね!」
「……雪村先輩、それ、元々いつかは教えるつもりだったんじゃ……」
「ふふ。でも、結構大変だよ。二人はいつもよりやることが増えてるのに、新しいことも教えるんだから」
「それはもちろん、構いません。しっかり覚えます!」
「俺も! 掃除も洗濯も、料理だって完璧に覚えてみせますよ!」
 どうやら気持ちは前向きになってきたようだ。いつものはつらつとした明るさを取り戻した二人に、千鶴はほっとして微笑んだ。
 二人に教えることで千鶴自身も日々の雑務の無駄に気付いて改善したり、質を落とさないまま手順を省略したり、千鶴にはない二人の考え方に気付かされることも多い。二人の先輩になれたことは、千鶴にとっても良いことだった。その感謝の気持ちは言葉にするよりも、こうして二人に指導して、少しでも彼らのためになるよう力を貸すことで報いていきたい。
 それじゃあと話もひと段落したところで盆に急須を乗せ始めた千鶴の手を、不意に相馬が両手でぎゅっと握りしめた。驚いて声も出ず、ぱっと顔を上げる千鶴を、真剣な目をした相馬がじっと見つめている。
「雪村先輩……俺たちなんかのために、こんなにも心を砕いてくださって、ありがとうございます。こうして俺たちを助けても、先輩には何の得もないはずなのに……。俺、早く仕事を覚えて、新選組のお役に立てるようになります。そして、雪村先輩のお力にもなれるよう精進します!」
「お、俺も! この恩は忘れねえ! ……です!」
 膝を突き合わせてずいと迫る二人の勢いに飲まれていた千鶴だったが、彼らのあまりにもまっすぐな言葉に、ふんわりと胸の内が暖かくなる。土方は当初、二人の罰は隊士全員分の洗濯だけで済ますつもりだったらしい。相馬が渋ったので結局は料理も追加になったらしいが、そうやって二人をつい大目に見てやりたくなる気持ちが千鶴にも分かる気がした。こんなにも一生懸命なのだ。自分に何かできることがあるなら、何だって助けてやりたくなる。そう思わせる二人の素直さに、千鶴は改めてにこりと微笑んだ。
「私に出来ることはそれほど多くないけど、今度何かあったら、私にも声を掛けて欲しいな。いつだって助けになりたいって思ってるから」
「雪村先輩……!」
「ありがとうございますっ! 俺たち、今日すげえ不安で……!」
 ますます感激した様子で千鶴の手をぎゅうっと握る相馬と、その上から手を重ねていた野村がさらに何か言おうと口を開いた瞬間、部屋の戸が音もなくすっと開く。
「雪村君、少しいいか」
 話し声から相馬たちがいることはとっくに分かっていたはずだが、少しだけ部屋の戸を開けた山崎は、ふと顔を上げて相馬や野村と目が合うと、おもむろに立ち上がって部屋の戸をずばんと開ききった。いささか肩を怒らせながら入ってくると、相馬の腕を掴んでぐいと力任せに立ち上がらせる。
 突然のことに目を白黒させ、また夕方追いかけ回された相手でもあるからか、戸惑い怯む相馬をそのまま立たせると、山崎は続けて野村の腕も掴んで立ち上がらせる。そうして二人と千鶴の間に立つと、冷ややかに目を細めた。
「……俺はこれから雪村君に大事な話がある。おまえたちは部屋へ戻っていろ」
「えっ……は、はい……?」
 突然やってきた山崎がどうしてこんなにも怒っているのか、相馬も野村もさっぱり分からない。山崎が千鶴と親しいことは知っているが、もしや千鶴に泣きついているとでも勘違いされたのだろうか。千鶴のことまで巻き込むなと、山崎は山崎で友を庇っているのだろうか。
「そ、それじゃあ、俺たち、行きます。……先輩、お茶、ご馳走様でした」
「お、おやすみなさい!」
 理由は分からないが、とにかく「出て行け」という指示には従ったほうがいい。そう判断した二人は、腑に落ちないながらも急いで部屋を出て行った。
 その背を廊下まで出て見送り、辺りを見回してから山崎は部屋の戸を閉める。ため息をついて千鶴の前へ膝をつくと、きょとんとしたままの千鶴の手にそっと触れた。
「まったく、あいつらは……。雪村君、大丈夫か? 彼らに何もされていないか」
「はい、お茶を飲んでいただけですし……。あの、山崎さん、どうかしたんですか?」
 不思議そうな千鶴は、先ほど山崎が驚いた理由も分かっていないのだろう。彼女の自覚のなさに案じる気持ちは募るが、ここでそのまま伝えては千鶴を身構えさせてしまうばかりかもしれない。逡巡の後、山崎は首を振ってその話を終わらせた。
 「前のめりになって二人の男に迫られているようにしか見えなかった」など、千鶴が気付けば二人を意識しすぎてこれまで通りに付き合えなくなるかもしれない。そうなれば、二人が彼女の性別に気付く可能性は格段に上がる。もっとも現時点であれだけ毎日一緒にいるのに気付かないほうが、山崎としてはどうかと思うのだが――。
「君が松本先生から預かってきてくれた書に目を通していたんだが、少し意見を聞きたいところがあってな。よければ少し付き合ってもらえないだろうか」
「あ、はい。私で良ければ」
 話題を変えた山崎を疑問に思うことなく改めて座布団を勧めてくれる千鶴に応えながら、山崎はそっとため息をついた。
 相馬と野村に端を発した今日の騒ぎは沖田に振り回された結果となったけれど、今後いつか二人は千鶴の性別を知らされるはずだと土方から聞いている。近藤も土方も、彼らを今のまま千鶴の指導の下につけ、彼女の素性を隠すための護衛にもしようとしているのだ。彼らの性根は信頼出来るものだとは思うが、それにしても、今日の一連の出来事や先ほどの千鶴との関わりを見る限り、彼らの大変な日々はまだこれからも長く続きそうだ。それを陰ながら助け、間違っていれば止めるのも先輩隊士である己の役目か。
 千鶴の細い指が書面をなぞるのを見つめながら、いつか相馬たちが正式な隊士として迎え入れられる未来を考えて山崎は苦い笑いを飲み込むのだった。





(16.07.03.)