道行く先にて待つ日まで





「素敵でしたね……」

 チャペルを出た千鶴はほんのりと目を赤くしてうっとりしていた。寄り添うように立っている斎藤は、彼女の肩から滑り落ちつつあるショールを整えてやりながら無言で正面の扉を見つめる。
 二人の同期が結婚することになり式へ招待されたのだが、友人である新郎は一年ほど前に転勤してしまっていた。親族や友人の他に職場関係の者も呼ばれているものの、そういった事情により列席者のほとんどは今現在の勤務地の人間で、斎藤と千鶴は転勤前の事務所を代表して出席している。
 斎藤とは新入社員として受けた研修時代に席が近かったのが縁の始まりで、千鶴は初日の飲み会で同じ大学出身と聞いて意気投合したらしい。社交的ではつらつとした彼はムードメーカーでもあり、斎藤もよく飲みに誘われていた。彼繋がりで千鶴と知り合い、研修が終わって配属された支店が同じだったこともあり、今も親しくしている。
 何度目かの飲み会で、同席していた千鶴がよく分からない括りで呼ばれた面子の勢いに呑まれており、自分もやや引き気味であった斎藤は見かねて声をかけた。お互いに真面目で割合大人しい性分だったせいか、賑やかな飲み屋の末席でぽつぽつと話をしているだけでも不思議と心が落ち着く。酒が入っていたのも理由として多分に含まれるのだろうが、しっかりしているようで少し天然の気がある千鶴の穏やかな様子に斎藤は気を許し、ふと笑みを浮かべた。

「あ……」
「どうかしたか、雪村」
「い、いえ、その……」

 目を丸くした千鶴に問いかければ、手にしていたグラスを見つめて視線が右往左往。怪訝に思って首をかしげると、観念したように肩を落とした。ちらりと伺い見るように見上げた千鶴の頬はほんのりと赤くなっており、そう言えば飲んでいる梅酒はもう三杯目だったかと斎藤が気を逸らした、そのとき。

「すごく、優しい笑顔だなあって……。ちょっと、びっくりしました」

 はにかんだ千鶴に、目を奪われていた。
 自分の発言に「あの、普段優しくないとか、そういう訳じゃなくって、その」と弁解を重ねている声は右から左に抜け、斎藤は顔を真っ赤にして慌てている千鶴の姿に、今さらながら、小柄であるとか、肌の白さであるとか、ぱっちりと大きな瞳が幼げであるとか、小さな手の飾り気のない爪がやたらときれいな様であるとか――。
 初めて会ったわけではない、けれど確かに初対面から好感は抱いていた彼女に一目ぼれをしたのだった。

 一目会った時からという訳ではないから厳密には一目ぼれとは言わないのかもしれないが、兎にも角にも中身に惹かれ、その後外見までも好きになってしまった。「坊主憎けりゃ」の逆だろうとは思うものの、以来千鶴のことをつい気にかけている斎藤である。気の合う同僚として過ごす内にこの感情が一時の勘違いでないとも確信を得ていた。
 新郎がまだ同じ事務所だった頃、「お前は分かりやすすぎる!」と見抜かれて色々と後押しも貰っているのだが、残念ながら名前を呼べるようになったくらいでこれといった進展はない。その名前を呼ぶのだって別の飲み会で周囲のからかい混じりに仕組まれてのことだったから、素直な千鶴は成り行きでそうなったとでも思っているのだろう。
 けれど今日この式へ出るにあたり、道中を共に過ごし会場でも行動を一緒にしてもいいと言ってくれるくらいには近づいてもいて、周囲の「絶対いける」という声や斎藤自身の手ごたえとして、可能性も満更なくはないのではと感じていた。

 さて、そうして共にやってきた式が今しがた終わり、チャペルから出てくる新郎新婦を出迎えるため短い道の脇に並んで立っている。係りの者に手渡された花びらとデジカメを手に、斎藤の目は辺りの様子を映していた。
 ホテル内のチャペルはテレビドラマでもよく見る西洋風で、事前に聞いている段取りによるとここで新郎新婦を出迎えたあとはそのまま写真を撮り、休憩を挟んで披露宴会場へと移動するらしい。内装は白を基調に金縁や植物の緑で彩られており、派手過ぎず地味過ぎずのいい按配だ。
 新婦の友人たちはすっかりこのホテルウェディングを気に入ったようで、私もこんなところでやりたい! などとはしゃいでいる声が聞こえてくる。女は大抵こういうものが好きなのだろうとは思うが、確かに、同期であり友人とも呼べる新郎の幸せそうな様子を見ているとなるほど結婚もいいものだな、などと考えてしまう。
 自分が式をあげるならと考え始めたところで、隣の千鶴が「そろそろみたいですよ!」と興奮気味に見上げてきた。

「ここでブーケトスをするんですよね。私、実はブーケトスを見るのはこれが初めてなんです」

 一度見てみたくてと微笑む千鶴だが、当人は取りに行く気はないらしい。どこなら一番見やすいと思いますか? なんて尋ねてくる千鶴に少しの驚きと安堵、それから残念に思う気持ちも織り交ぜつつ二人で算段を立てる。
 結論としては、やはり受け取ろうと集まる輪の近くがいいだろうということになった。新婦側の友人数名が行くだろうから、その輪の外で眺めるというわけだ。それなら新婦が投げるブーケも受け取った人のこともよく見えるだろう。
 もうじき新郎たちが出てくるのか、ホテルの従業員の動きが慌しい。両家の親族がチャペルの扉のそばに並び、友人や斎藤たち職場関係者はその列の最後に並んだ。出てくる二人をレンズに収めようとデジカメを構える姿が多い。斎藤も片手でフレームを調整していたが、ふと並んでいる千鶴に目を向けた。
 パステルピンクのパーティドレスに淡い桜模様のハンドバックを手にした千鶴は、斎藤と同じく花びらを握りながらデジカメを構えようとしている。花びらを落とさぬよう気をつけつつ設定を弄くるのが難しそうな様子に、斎藤はひっそりと目を細めた。

「千鶴。写真は俺が取るから、カメラは仕舞っておけ」
「いいんですか?」
「ああ。その代わり、拍手は俺の分も頼む」
「はい! ありがとうございます!」

 カメラを構えずにいれば新郎新婦の姿もずっと見ていられるだろう。嬉しそうにチャペルの扉を見つめる千鶴の横顔を見下ろしていた斎藤は、やがて鳴り始めた拍手の音に顔を上げてデジカメを持つ手をするりと上げた。何度かシャッターを切り、周囲の声に合わせて「おめでとう」と声をかけ花びらを投げる。斎藤に気づいた新郎が片手をあげてピースサインを作り、笑いをこらえてそれもファインダーに収めた。
 新郎の腕に手を添えて歩くウェディング姿の新婦はまだどこか緊張した面持ちで、両親や友人の声かけでようやく笑顔を見せている。一生に一度のことだ。この後の写真撮影では笑顔で写れたらいいがと思いつつ、その華やかな姿に目を向けた。
 白いドレスは胸から下を覆うタイプで、背中の半分ほどやデコルテ、二の腕は肌をさらしている。動くたびに揺れるヴェールは先ほどの誓いの口付けでまくりあげられたまま、結い上げた髪にかかっていた。
 デジカメで二人の姿を追いつつ、データを保存する僅かな間に辺りへ目を向ける。誰も彼もが二人に目を向けて、我が事のように微笑んでいた。それはきっと斎藤も同じことで、穏やかな心にささやかな幸せがふわふわと降り積もっている。
 新郎新婦が所定の位置へ辿り着くと、斎藤はデジカメを構えていた手を下ろし、並ぶ千鶴の腕を取った。

「ブーケトスを見るんだろう。行くぞ」
「あ、はいっ」

 居並ぶ人垣を縫うように前へ出て、ドレス姿の新婦の友人たちから少し後ろで足を止める。斎藤と共に少し離れて並んでいることもあり、ホテルの従業員たちも千鶴をブーケトス参加者とは見なしていないようだ。正面の階段へ続く数段の段差を上った新婦がまだ硬さの残る笑顔で背を向ける。

「いよいよですね!」
「そうだな」

 胸の前で手を組んで我が事のようにハラハラと見守る千鶴を微笑ましく思いながら、斎藤もデジカメを向けながら、ガラス張りの天井から差し込む陽光に目を細めた。
 進行役の者が宣言し、カウントダウンが始まる。

「さん、にーい、いち!」

 新婦の腕が大きく振り上げられ、小さなブーケが宙を飛んだ。淡いピンクのリボンが尾のように弧を描く、そのスローモーションのなかで、「あ」と斎藤は口を開く。
 新婦の頭上を大きく飛び、友人たちの頭上さえ越えて。
 その軌跡を追っていた斎藤は、咄嗟に左手を伸ばしていた。たった一歩踏み出した先で、白い花束が手に収まる。
 一瞬の静寂の後、どよめきが上がった。

「さ、斎藤さん!」

 驚きに目を瞠る千鶴の声で我に返った斎藤は、慌ててそのブーケを千鶴に手渡す。振り返ってその様子を見ていた新婦の友人たちはみんな笑っており、この場が白けるのは何とか回避できたらしい。それを見てほっとしつつ、けれど一つの決意を持って新郎を見れば、一度目を丸くした新郎が、ニヤと笑ってガッツポーズを突き上げた。

「いけ、斎藤!」

 返事の代わりに一つ頷き、新郎の言葉に驚く新婦や観衆に背を向け、まだ驚いたままの千鶴を見つめた。
 ブーケが飛びすぎたことも、斎藤が取ってしまったことも、全て偶然だ。けれど予感はあった。式が始まる前からずっと、疼くような、堪えきれない高揚感があった。何を考えていたわけでもない。ただ心が、本能が、そのまま彼女を捕まえたいと動いたのだ。
 ブーケを手にした千鶴の手に自分のそれを重ね、ぎゅっと握る。
 淡いピンクのドレスに可憐なブーケを持つ千鶴の姿に、未来の姿を見た気がした。

「ブーケを受け取ったお前が、次の花嫁だ。お前がブーケを投げるとき――」

 ふわりと幼い風が吹き、ブーケの香りが鼻先を掠める。
 どこからか飛んできた花びらが、千鶴の髪にはらりと落ちた。

「俺は、お前の隣にいたい」

 きゃあっと悲鳴交じりの歓声が場を包む。
 千鶴が見惚れながら「優しい」と評した笑顔で微笑んでいることには気づかぬまま、斎藤は千鶴を信じて答えを待った。こぼれんばかりに目を丸くした千鶴が、今にも泣きそうな真っ赤な顔で笑うまで、あと少し。

 斎藤がヴァージンロードの先に立って千鶴を待つ日も、そう遠いことではない。






(10.05.23.)