目覚め





 斬っちゃうよっていつも言ってるのになあ。
 口の中でそうぼやくと、沖田はその場に足を止めた。ふむと腕を組んで見つめる先は屯所の縁側、先の台詞の送り先はこくりこくりと舟を漕いでいる千鶴だ。畳み終わった洗濯物が彼女を取り囲むようにつみあがっていて、実に奇妙な光景だった。新選組どころか洗濯物にまで軟禁されるなんて、この子は閉じ込められたい願望でもあるのだろうか。寝顔は呆れるほど穏やかな間抜け面だ。すよすよと寝息まで聞こえてきそうで、ついでに花や蝶が飛び交う幻まで見えてきそうだった。
 幸い、沖田が見つけるまで誰の目にも留まらなかったのだろう。あまりにも無防備すぎて、これではいくら幼いとはいえ女子と気付かれても不思議ではない。もっとも、平隊士たちは彼女の性に気付くことはあってもそれを口にはしないだろう。これほど近くにいる幹部たちが気付かないはずがなく、その幹部が皆揃って男だと扱っているのだから、指摘など出来る訳がないのだ。何らかの事情があって伏せているのだと分からないほどの馬鹿はいないだろうし、いたとしたらそんな頭の軽い輩は新選組に必要ない。それこそ、斬ってしまえばいいだけのことだ。
 脳内で物騒な結論を出しつつ沖田は千鶴に歩み寄る。別段足音を消したりはしていないが、それでも千鶴が起きる気配はない。本当にどうしようもなく暢気だ。殺気だろうがなんだろうが、こちらのことなどお構いなしでいる。
 目の前に立ってみてもやはり千鶴は眠ったままだった。こうまで気付かれないとつまらないのだが、それよりここまで眠ってしまう原因を考えたほうがいいのだろうか。単純に考えて、眠りが足りないせいだろう。何故眠りが足りないのか、という点に関しては考えないでおく。心当たりがありすぎて枚挙にいとまがないからだ。

「千鶴ちゃん」

 案の定というべきか、声をかけても千鶴の眠りは妨げられず続いていた。鼻を摘もうか、それとも洗濯物の山に突き飛ばそうか。どちらも千鶴が涙目になることは必至だ。ああ、それは楽しいかもしれない。
 ニヤと笑ってそろりと近づいていく。目の前に立って縁側に手をつき、俯き加減な千鶴の顔に手を伸ばした。

「……う、さま……」

 淡い桜色の唇が動いたのは、今まさに沖田の手が千鶴に触れようとしたそのときだった。ぱちりと目を瞬いた沖田の前で、千鶴の寝顔が苦しげにゆがむ。

「……かない、で……とう、さ……」

 ぎくり、と身が震えた。
 驚くことではないはずだ。年端もいかない女の子がこんな男所帯に一人放り込まれて、うかつに動けば殺すと散々脅されて、満足に外も出歩けない軟禁生活だ。こちらに不都合だからこその処置だけれど、言ってしまえば、彼女には何の落ち度もない。彼女が見たものが、たまたま新選組にとっては見られたくないものだった。それだけだ。不運だったとしかいいようがない。
 もしかしたら、忘れていたのかもしれない。千鶴がいつもおとなしく笑っているから、この子は肝が据わっててよかった、なんて。そんな単純な話ではないと、分かっていたはずなのに。
 不安でないはずがない。隊士たちだっていつ寝首を掻かれるかと就寝時も刀を手放せずにいるというのに、これまで安穏と暮らしてきた千鶴が平気なはずがない。
 息苦しさから逃れようとして、沖田はひどくぎこちない動きで身を離した。
 うまく呼吸が出来ない。
 知っていたはずなのに。そんなことどうだっていい、関係ないと思っていたのに。
 実際、そんなことは関係がないのだ。千鶴が苦しかろうが、辛かろうが、この生活が変わることはないだろう。千鶴は父親が見つかりさえすればこの生活が終わると思っているかもしれないが、綱道の生死によってはこのまま一生、この生活が続く可能性だってあるのだ。無論、そうなればいつまでも彼女のことは隠しきれない。遅からず殺されるだろう。綱道が死んだと確認が取れた、その日にだって死んでも可笑しくはない。
 そうなれば、彼女に気を許しすぎている他の面々に変わって自分が斬ることになるのだろうと思っていた。土方でさえ、そもそも当初から彼女を殺さずに済むよう苦心していたのだ。実際殺すとなれば、もしかしたら夜に乗じて逃がすよう、誰かをそそのかすかもしれない。自分自身はそんな風に動ける立場にないから、たとえば原田辺りにそれとなく隙を作ってやるなどして、何とか殺さず済むよう取り計らおうとするだろう。
 もしそうなったら、見過ごしてもいいと思っていた。けれど、そうもいかないだろうとも思っていた。千鶴にその気はなくとも、無理やりに吐かされる場合だってある。そんな危険が付きまとう人生を送り、いつかどこの誰とも知れない輩の手に掛かるくらいなら、いっそ自分たちの手にかけたほうがいいというものだ。それが誠実さというものだろう。彼女を閉じ込めた業を、殺したことで一生背負っていけばいい。新選組は罪のない女子供を斬り捨ててまで続いているのだと各々覚悟を決めればいい。そんな風に思うことさえあったのに。
 沖田だって、今更好き好んで殺したくはない。殺すよと、そうして囁くのは警告であり忠告だ。殺せと言われれば殺すだろうし、殺した後でうなされることもないだろう。胸糞悪くなって、誰かに八つ当たりして、時が経てば心の落ち着きどころを見つけて彼女が来るまでの生活に戻る。それだけだ。けれど、決して死なせたいと望んでいるわけではない。やっかいなお荷物だから消えてしまえなんて、思ってはいないのだ。

「……『いかないで』」

 いやに乾いた喉が絞り出した声は、小さく掠れていた。
 行かないで。
 そうだ。千鶴に、どこか遠いところになど行って欲しくない。ここにいたらいい。生きたまま、暢気な顔で居眠りもして、そうしていたらいい。誰も殺さず、隊士ではないままで、お茶汲みをしたり掃除をしたり、そうして過ごしていればいい。
 江戸ではなく、沖田の目の届く、屯所で。

「…………っ」

 恐る恐る手探りで導いた答えにぞっとした。
 それでも言える。殺せと言われたら、殺せる。
 殺せるけれども。

「……千鶴ちゃん」

 斬りたくない相手を斬るとしたら、どんな気持ちになるのだろう。どうしたらいいのだろう。刀は抜ける。斬れる。けれど、斬ったらもう、それで仕舞いだ。
 足を引っ掛けて転ばせても、畳んだ傍から洗濯物を増やしていっても、鼻を摘んでも嫌味を言ってもからかっても、千鶴はここにいる。けれど、斬ればもう、ここにはいなくなる。
 何を当たり前のことを、とは笑えなかった。いなくなる、そのことをこれほど切実に考えたことがなかった。
 すう、と大きく息を吸って、それから両手でぱしんと千鶴の頬を挟み込んだ。痛みと衝撃にびくんと肩を跳ねて飛び起きた千鶴が目を白黒させている。相変わらずの間抜け面に、胸が軋むほどの安堵を覚えた。

「おはよう、千鶴ちゃん。よだれたらして居眠りとは、随分暢気だね」
「お、おはようございます……って、ええっ!? よ、よだれ!?」

 慌てて細い指先が口元に触れ、嘘だと気付いた千鶴が顔を真っ赤にして「沖田さん!」と憤慨している。笑いながら頬から手を放して、沖田はにこりと目を細めた。

「僕らが働いている間に千鶴ちゃんは居眠りかぁ。うらやましいな」
「す、すみません……」
「別に謝ることじゃないよ。君は隊士じゃないんだから、大人しくしてるのが仕事でしょ」

 そう言えば、千鶴は困ったように眉根を下げて俯いてしまう。大よそ、沖田の言葉を「余計なことはせず部屋に篭っていろ」とでも受け取ったのだろう。
 それでいい。言葉通りの意味でも、どちらでも構わない。

「あんまり余計なことされると、君を斬るっていう仕事が増えちゃうからね。居眠りなら、まあ斬る必要はないし、いいんじゃないかな」
「……は、い」
「洗濯物、冷える前に運んだほうがいいよ。じゃあね」

 すっかり消沈した千鶴を置いて踵を返す。
 これでしばらくは大人しくしているだろう。元気がなくなったのは、平助や斎藤辺りが勝手にどうにかするに決まっている。発破をかけるのは沖田だが、窘めたり後始末をするのは他に適役がいるのだからやらせておけばいいのだ。
 庭を歩き角を曲がる間際そっと視線を向ければ、ぱち、と自分で頬を叩いて気合を入れなおしている千鶴の姿があった。自分を戒めて、回りに迷惑をかけないようにしなければと気負ったのだろう。嘘なんかつけないくせに下手くそな笑顔で取り繕って、今夜辺り誰ぞ幹部が言い出すのだ。千鶴に元気がないようだから、どうにか励ましてやれないかと。
 それで千鶴は元気になって、浮かれそうになったら沖田がまた釘をさしてやればいいのだ。殺しちゃうよと嘯いて、何度だって思い知らせてやればいい。殺してしまうよと言っている間は、少なくともまだ千鶴は生きているのだ。いざ殺すとなれば予告はしないだろう。だから、殺すよと脅すたびに彼女の寿命は延びる。

「あーあ……」

 あまり気付きたくない事実だ。殺すのに躊躇いはないけれど、嫌だなとは思っている。こんなことは初めてだ。
 面倒なことになったと思いながら沖田はあくびをかみ殺し、大きくため息を吐いた。







(10.07.31.)