紅炉上一点の雪





「ねえ、千鶴」
「なんですか?」

 両の袂に手を入れたまま小首をかしげた沖田は、そのまま反対に首を傾けて「ねえ」と言葉を重ねる。ねえ、ねえ、と言うばかりで本題に入らないのを不思議に思い振り返った千鶴は、思いのほか近くに寄り添っている沖田にびくりと身を揺らした。
 まだ二人が屯所にいた頃、沖田の労咳がひどくなるまではこうして気配を消して近づかれては散々にからかわれ、遊ばれたものだ。今では頬をつつかれたり突然抱きしめられたりと他愛ないいたずらに変わったものの、からかわれること自体は日常茶飯事だから反射的に身構えてしまうのは如何ともし難い。
 けれど、理屈では分かっていても面白くないと思うのが沖田だ。可愛い可愛い妻が、構ってくれないどころか近づいたら身構えるだなんて到底承服できない。――そういう建前で遊んでいるだけ、ということもあるのだけれど。

「ねえってば」
「ど、どうかしましたか? あの……」

 近いです、と言うべきか迷いつつ最後の洗濯物を干し終えると、千鶴は一歩下がって沖田を見上げた。先日良人となった彼は相変わらず気ままに千鶴を慈しんでくれている。人気がないのをいいことに所構わず引っ付いて来る様は一見すると童のようだ。
 近藤を失い、刀もろくに振るわないこの生活は彼を別な次元で苦しませやしないかと案じていた千鶴は密かに安堵していた。そんな千鶴を余所に、あるいは知っていて目を瞑っていたのか、沖田はこれまで以上にわがままの限りを尽くしている。それが先日婚姻を結ぶ際に話していた彼なりの甘えと分かっているから大概は甘んじて受け入れているけれども、しかし、ものには限度がある。
 元来控え目な質である千鶴には、例えば入浴中に外から延々と湯加減を尋ねられるだとか、それを気にするあまり湯あたりしたのを介抱されながら「次からはこんなことがないように僕と一緒に入ろうね」と至極嬉しそうに微笑まれるだとか、そういったことは耐えがたいことなのだ。突然抱き付くのは危ないから、厨ではせめて一声かけて欲しいと頼み込めば、三和土の縁に腰掛けて「千鶴の好きなところを数えてあげる」と指折り唱える始末。
 決して嫌ではないが、羞恥と動揺で千鶴の心臓は疲労困憊だ。そんな沖田に困りはすれど、目茶な愛情の雨が嬉しくもあるのだから、千鶴も大概欲目が過ぎるのだけれど。

 そんな千鶴を覗き込んでいた沖田は、ほんのり頬を染める困り顔にすいっと顔を近づけた。急な動きにぎくりと身を引こうとした千鶴の両手はいつの間にか沖田の大きな手に捉まっていて、逃れることが出来ない。握られた手の大きさ、触れた手の感触に、千鶴の身が小さく震える。愛らしい反応に笑みを深めた沖田は唇の横に口づけて目を細めた。

「千鶴は可愛いね」
「そっ、総司さん!」
「うん? なあに、可愛い可愛い僕の奥さん」

 にこにこと笑いながら千鶴を抱きしめた沖田は、見事なまでの手際のよさで千鶴の脇に腕を差し入れるとひょいと抱き上げてしまった。あっという間に沖田の顔が上から下になった千鶴はしばし目を白黒させてから、赤い顔をさらに赤くして「もう!」と小さな悲鳴を上げる。それだって可愛くて仕方がないと沖田は笑って、そのまま縁側へと足を向けた。




 お茶が飲みたいと言う沖田に呆れとも諦めともつかぬため息をもらしつつ、湯を沸かした千鶴が戻ると沖田はぼんやりと庭の垣根に植えた花を眺めていた。花は山茶花で、ある日ふらりと散歩に出かけた沖田がどこからか手折ってきたものを挿し木したものだ。
 夏の日差しが降り始めた頃で、いくら具合がいいとはいえ、一人で遠出されては心配なのにと千鶴ははらはらしたものだけれど、沖田はごめんねと言うだけで一向に大人しくはしていなかった。その日は「そんなことよりこれ、うちの周りに植えようよ」と目を輝かせる沖田を前にして、それ以上叱り付けることを諦めてしまった。言ったところで大人しく寝ていてくれるのは二、三日が限度だということは、この地へ着くより前に学んでしまっている。
 あのときはただ青い葉が茂るばかりだった枝に、今は淡い桃色の花がついていた。暮れに咲いた花は年が明けてもまだ花弁を保っていて、花が咲くようになってからは沖田もときどき嬉しそうに見ているのを知っている。うまく根を張ってくれたばかりか、その年にすぐ花をつけた生命力には感心したし、この地の水がいかに優れたものであるかを証明したようにも思えて、千鶴の気も和らいだ。あとはその類稀な力が沖田へも恩恵をもたらすよう願うばかりだ。

「きれいに咲きましたね」
「そうだね。僕は、ちょっと違うのを想像してたんだけど」
「違うの、ですか?」

 盆に載せた湯飲みを差し出しながら千鶴が問えば、受け取った沖田は礼を口にしてから「うん」と口ごもった。歯切れの悪い様子に首をかしげる千鶴を己の隣に座らせると一度湯飲みに口をつけ、それからまた庭に立つ。
 小さな庭だ。生垣のように植わった木がなければ、この村そのもの全てが庭だと錯覚しそうになる。雪村の屋敷は大きかったけれど、母屋の前庭は案外広くなかった。静かに隠れ住んでいたというから、村全体が裕福とは言いがたいものだったのだろう。集落の長であっても皆と同じように日々暮らしていたのかもしれない。
 千鶴や薫を見るにつけ、雪村は権威や富よりも無意識に縁を求める者なのかもしれないと、不意に考えたことがあった。一途に誰かを思い、仲間と共にあることを望む。薫の選択は到底受け入れられるものではなかったが、この点においては、千鶴も薫もとてもよく似通っていた。
 千鶴が求めたものは新選組であり、沖田であり、沖田が求めたものは新選組であり、千鶴であった。そこが重なったから今があるのだろうと思う。
 とても不安定だ。近藤の背中を追っていた頃は、己が強く、有用であれば、ずっとそばにいられると思っていた。役に立つことで居場所を得ていたつもりだったのだ。病床へ臥すようになっても決して忌避されたりはしなかったけれど、情だけのつながりは不安で堪らなかった。そうして何度か暴走し、何度か千鶴に助けられた。
 今となっては、もう、己には情しかない。千鶴を想う気持ちだけが一つ残るのみだ。喜びも悲しみも、全てが千鶴と共にある。それが時折とても不安なのだと口にすれば、きっと千鶴は怒るだろう。泣いてしまうかもしれない。
 それでも、もう、沖田には千鶴しかいないのだ。

「赤い花がつくと思ったんだよ。山茶花は椿の仲間だっていうから」
「そういえば、そうですね。赤い花もあるみたいですけど、総司さんが持ってきて下さった株は白と桃色だったみたいです」
「うん」

 首が落ちる、と武士にとって縁起の悪い花とされる椿は子供たちと遊び歩いた頃に見かけたきりだ。屯所を離れて療養していた折も、おそらくは千鶴の計らいで、赤い花は遠ざけられていた。血を思い起こすものは徹底的に排除したかったのだろう。そうしなければ彼女自身も挫けてしまいそうだったのかもしれない。
 沖田は落ちた花びらを一つ拾うと、千鶴の隣へ戻って腰を下ろした。
 白い花弁はまだ散ったばかりなのか案外きれいなままで、虫がついていないことを確かめて千鶴の手のひらに落とす。ふちがやわく波打つのを見て「かわいい」と目元を緩ませる千鶴を見つめ、ほうと息をついた。
 本当にきれいになった。何をしていても心惹かれる。こんなにも美しく愛おしいものが自分だけのものだと、睦み合うたびに思い知らされて、ぞわりと戦慄する。羅刹に身を落とし血を求めたときよりもずっと強く、全身全霊で千鶴を欲していた。地に落ちた花びら一つに綻んだ横顔を見ているだけで、沖田の頬もゆるゆると緩んでしまう。

「ねえ、千鶴。僕、君の家事が終わるまで、今日のところは待っていたんだけど」
「はぁ……」
「褒めてくれないの? 昨日あんなに怒ったから、いい子にしていたのに」
「それは褒めるところじゃありません!」

 出来れば毎日待っていて欲しい、と言いたげな千鶴の言葉をさえぎって笑い声を立てると視線を空へと逃がした。
 散々構い倒して家事の邪魔をしているけれど、それでも沖田が満足することなどない。体にも心にも触れていたい。誰もいないこの場所で、瞳に映るものは自分だけでいいとさえ思う。千鶴が夕日に目を奪われたら、そんな彼女を愛しく思い、その風景に自分がいないことを惜しく思う。
 自分たちの繋がりが情しかないのなら、身のうちからいずる想いの全てを彼女に捧げたい。喜びも悲しみも寂しさも、小さな憤りや嫉妬でさえも、すべてすべて、千鶴のためだけに。
 そんな沖田だから、千鶴が家の用事を済まそうとすると時間がぽかりと空いてしまう。空いた時間に思うのも彼女にまつわることではあるのだけれど、千鶴の顔が見られないとなると、雲が空を覆うようにふっと心に影が差す。
 これまでのこと。これからのこと。あまり千鶴が喜ばないことばかりだ。
 明るい陽射しが千鶴であるなら、日が翳れば沖田の心はじとりと湿り気を帯びる。誰かの血であったり、嘆きであったり、あるいは涙であったり。
 千鶴の仕事が片付くのを待ちながら赤い山茶花を思い描いていた沖田の脳裏に、別の赤がぽっと浮かんだ。それは昔日の暖かさをもって心底に落ち、懐かしさと穏やかさに眩しさを覚える。
 その温もりは、確かに千鶴へ伝えなければいけないことだった。突き詰めれば「愛おしく想う」とただそれだけなのかもしれないけれど、口が利けるうちは知る限りの言葉で幾通りにも表現したい。視線で、手のひらで、唇で、沖田の持ちうるすべてを賭して渡さなければいけない。
 一つ深呼吸をして笑いを収め、言葉をつむぐ。白く伸びる雲を見上げてそらんじると、まるで句を読む誰かのようで、少しおかしくなった。

「如何なるか、これ、剣刃上の事」
「えっ?」
「上杉謙信だよ。知ってる?」

 ひゅっと腕を振り下ろし刀で切りつける動作を見せると千鶴にも合点がいったらしい。名前くらいは、と頷くのを見て沖田もうんと頷いた。
 近藤は偉人の武勇伝や武士道を記した書物を読むのがたいそう好きな人で、有名な武将の英雄譚は幼い沖田にも話して聞かせてくれたものだ。そう告げると千鶴はやんわりと目を細めて小さく頷いた。
 千鶴のこうした仕草を見るにつけ、ずいぶん大人びたものだと思う。時折どきりと浮き立つほどだけれど、そうと知れるのは何となく気恥ずかしい気がして、千鶴の前では何でもない振りをして押し隠している。男の矜持というのは大事なものだ。近藤だって「時には見栄も必要だ」と話していた。たぶん、これもそう扱っていい恥じらいに違いない、と沖田は信じている。

「禅問答のようなものかな。紅炉上一点の雪、って答えるんだ。千鶴は聞いたことある?」
「いえ、まったく……」
「上杉謙信と武田信玄。どちらも知勇に優れた名将でね。その二人が雌雄を決しよう、いざやいざ、って戦ったときの話なんだけど」

 奇襲をかけ、信玄へ肉薄した謙信が口にしたと言われるのが、先に沖田がそらんじたものだ。凶刃に晒された今このとき、如何なるか。この刃に倒れたならどうするか、死の覚悟はあるのかと尋ねている。対する信玄は慌てず一撃を受け流し、答える。
 紅炉上一点雪。

「赤々と熾る炭の上へ落ちた一点の雪が一瞬で溶けてなくなってしまうように、己が刃に倒れるそのときは、生きるも死ぬもない。生きることへの執着も、死への恐怖もない。生きるもよし、死ぬもよし。――あるがまま、無心である、ってことだったかな。そんな風に近藤さんは話してた」

 実のところ、近藤は禅問答として話したわけではない。このようにいかなるときも平静であれ、と当時は説いたのだ。その下りは千鶴の前ですることもないだろうと省いた沖田は、閉じたまぶたの裏で過去を幻視する。
 荒くれ者ばかりで、まだ雑用ばかりさせられていた頃から生傷の絶えない生活だった。新選組が千鶴の知る形になるまでには仲間同士で殺し合いもした。泥臭く、血なまぐさい場所だ。それでも沖田には居心地がよかった。近藤がいたことももちろん第一の理由ではあるが、彼の元に集まった同志たちは、なんだかんだいって気の置けない良い仲間だったのだ。
 鋭く伸びる道を無心に駆け抜けた頃を思い出すと、しんと心は静まり返る。千鶴がもたらす甘く、やわらかく、暖かいものとは違うけれど、これもまた一つの安らぎと呼べるのだろう。

「近藤さんはいつも言ってた。武士として、潔くありたいって。これも、その一つだと思うんだ」

 死ぬもよし、生きるもよし。
 口に乗せると、やはり千鶴が息を飲む気配がする。こわばってしまったであろう千鶴の顔は見ないままに湯飲みを両手に抱えた。
 冬の合間の陽射しがほんのりと空気をぬくもらせ、日陰に残る雪は静かに姿を消している。澄んだこの地にも雪は降り、解けて水となり、また地へと戻る。川を下り、海に広がり、雨や雪となって巡る。
 この地へ来て、ようやく分かったような気がする。これまで漠然とした感覚で受け止めていた事柄が、穏やかな日々の中でその輪郭をはっきりと形作っていた。幸せな日々と千鶴の光に照らされて、抱えていたものが次々に明るみに出る。一つ一つを手に取り眺めると、沖田の心持ちにもほわりと灯がともった。

「僕らはいつだってやりたいようにやってきた。思うようにいかないこともあったけど、きっと後悔はしてない」

 生きるも、死ぬも。
 人斬りとなって数多の敵を切り、謀略にも手を染めた。近藤や土方を慕い、あるいは志を重ねて、日々研鑽を積み戦いに明け暮れた。そんな日々もまた、幸せだった。望むように生きた結果があの暮らしだったのだ。
 自慢することではないのだろうけれど、悔いのない月日だったことは誇れる。迷いながら手探りで這い回ったこともあったけれど、それでも無駄ではなかったと言える。
 湯飲みのぬくもりが薄れていくのを感じながら並ぶ千鶴に目をやれば、やはり、大きな瞳に涙をにじませて唇を噛んでいた。悲しませたくはないのに、そのいじらしい姿にも胸が焦がれる。
 板張りに湯飲みを置いて白い頬に手を伸ばし、すべらかな柔肌にそろりと指を這わせた。外気で冷え、けれど皮下の鼓動が指先に確かな温度を伝える。あたたかさに目を細め、言葉を続けた。

「僕も同じだよ。僕はこれまでのことを悔やんだりしない。すべてを今、ここで君と受け入れるんだ。この命が散ることも、君と別れる日のことも」

 ほろりと流れた涙を指の背で拭うと千鶴は耐えかねたように唇を開いて、けれど何も言えないまま苦しげに首を振った。いやいやと逃れる目に映るよう、頬を包み込んで唇を重ねる。千鶴の唇を舐めて湿らせながら啄ばむと、とうとう大粒の涙が溢れ出した。
 泣き虫だなあ、なんて思いながら涙にも唇を寄せて、己の目の奥の痛みには気づかない振りをする。千鶴が泣くたびに痛みは湧き起こり、けれど絶対に涙にはならない。どうしようもなく身勝手な沖田の分まで、優しい千鶴は泣いてくれる。
 目尻や頬に口づけを落とすと、自然と笑みが浮かぶ。息詰まるほどに苦しいけれど、同じだけ愛おしさも募る。

「辛くてたまらないよ。考えるのも嫌になるくらいにね。でもね、千鶴。僕は君と出会うまでの僕も、君と出会ってからの僕も、胸を張って君に見せたいんだ。これまで生きてきたことも、これから、僕が朽ちていくことも。きっと君はすべてを見ることになる」
「そう、じ、さん……っ!」
「――うん」

 ねえ、千鶴。
 呼びかけ、のどを引きつらせて泣く千鶴をそうっと抱き寄せた。小さく柔らかい、暖かな少女。病に冒され身をやつすばかりと知って惑う沖田に寄り添い、その道を照らしてくれた。
 触れるたびにためらいも覚える。誰かのために戦うことは当たり前のようにこなしていたけれど、守り寄り添うなんて知らなかった。壊れてしまわないか。逃げてしまわないか。嫌われてしまわないか。どんなに千鶴が否定したって戸惑いは消えることがないだろう。もっと、もっと、と求めるほどに限度を知らぬ情愛が膨れ上がる。千鶴を飲み込もうとする己の感情に、沖田はぞっとするのだ。
 こんなにも欲している。己のすべてが、今このとき千鶴と共にあることを望んでいるのだと確信する。

「僕はとても幸せだと思ってる。大好きな君と、こうして今、生きてるんだ。だからどうか、覚えていて。僕が生きてきたこれまでのこと。僕がこの世からいなくなっても、君の中で僕が生き続けられるように」

 毎日が輝かしいのは、恐ろしいほどに溢れ出るこの想いがあるからだ。これまで生きてきたすべてを静かに受け入れられる心持ちになるのは、今が幸せであるからだ。
 少しでも長くとは思うけれど、たとえ今この瞬間に解けて消えてしまったとしても、きっと幸せだったと言える。明日があるのなら、その目覚めはまた幸せに満ちているのだろう。
 雪深い里でも、一日一日があたたかい。
 沖田の胸に顔を押し付けて肩を震わせる千鶴の背を、なだめるように触れる。
 小さな体で、ずっと支え続けてくれた。沖田がこんなにも幸せな気持ちでいられるのは、何より千鶴がいてくれるおかげだ。恋しくて、愛しくて、頑固なところは時折憎らしくもあって、そうしたすべてが身のうちを満たしていく。
 だからどうか、と願うのだ。

「いや……いや、ですっ……。いなくなる、なんて……っ!」
「ごめんね。君がこういう話、聞きたくないって分かってる。それでもね、千鶴。聞いて?」

 どうしたってわがままな性分は直せそうもない。泣いている千鶴が落ち着くまで黙って待ってやることも出来ないし、聞きたくないと言われたって懇願する。
 どうか千鶴が、同じように幸せでありますように。
 たくさんの感謝を、愛おしいとただ触れることでしか返せない。それを千鶴が望むなら、いつまでだって寄り添っていたい。けれどすべては有限だから、瞬きの間にほんの一握りでも多く伝えられるよう願って言葉を重ねるのだ。

「僕は君に救われた。君が暖かいから、今の僕は凍えずにいられる。だから、君に溶けて流れるのなら、悪くないって思えるんだ」

 ぼろぼろと泣いて縋る千鶴を抱きしめる。苦しいかもしれないと思いながら、強く強く抱きこむ。
 この先どれだけあるか分からない日々が、千鶴にとっても幸せなものであるよう祈る。千鶴の心のうちも溢れる思いで満たされるよう、沖田の心と近づくよう、震える腕できつく抱く。

「僕が溶けて流れゆくその日まで、ずっと君のそばにいさせて。ずっと君のぬくもりを感じていたい」

 もっとそばに。
 もっと寄り添って。
 そのときを迎えても、どうか寂しさに怯えることのないように。

「大好きだよ」

 泣き濡れる千鶴を抱きしめて、眩しい陽射しの先を見る。地に伏せる山茶花の一片が仄かな風に揺れ、その白の照り返しにまぶたを下ろした。肌を透かして差し込む穏やかな光を感じながら、腕の中のぬくもりに身を寄せる。
 不意に目の奥がじりっと痛んで、頬が濡れるのを感じた。震えるのどが冷えた外気を吸い、堪らず千鶴の髪に頬を寄せる。
 幸せとはこんなにも胸を焦がすものなのかと、嗚咽を飲みこんだ唇はゆるりと弧を描いていた。







魚谷さんへ (10.01.13.)