あなたの好きな人





「あーっ、もうダメ! 休憩!」
 唐突に両手の拳を突き上げたジータは、目を閉じて一度天井を仰ぐと背後のソファへ勢いよく振り返った。部屋の主はジータが持ち込んだクッションに埋もれながら、いつも通り静かに銃の手入れをしている。
 ペンを放り出して椅子を立ち、勢いよくソファへ腰を下ろす。大きなクッションのおかげで痛みもなく、揺らいだ身体はそのまま彼の肩にもたれて止まった。書類仕事で疲れた目を伏せ、八つ当たり気味に額を肩へぐりぐりと押し当てる。咎めようとして言葉を飲んだようなため息が髪を撫で、彼の手から銃が離れた。
「数が合わないのか」
「帳簿合わせは終わったんだけど、やりくりというか、もう少し余裕が欲しいというか……」
「このところ続けて依頼を引き受けていただろう」
「あ、うん。赤字じゃないよ。グランサイファーをもう少し大きくしたくて積み立ててるから、そっちの話。これからもっと寒くなるから燃料代も馬鹿にならないし、聖夜や新年のお祝いも用立てると余裕がね……。よろず屋さんに頼んで少し多く仕事回してもらうとしても、みんなこのところ依頼続きだったから休んでて欲しいし、でも人数絞ると出来る仕事も限られてくるし……」
 今の今まで頭の中でぐるぐる考えていたことを、尋ねられるままに話す。言葉にしてみれば不思議と落ち着いて、話しながら頭の中で答えは導き出されていた。
 ジータはうんと頷き、腕を組む。
「この島にいる間に、小さい仕事をいくつかやっておこうかな。塵も積もれば、だもんね」
「簡単な仕事なら子どもたちにも手伝わせればいい。仕事が続いていたのは荒事担当のやつらだろう」
「うーん、でも、私に出来ることは私がやっておきたいんだ」
 無理をしているわけではない。背伸びも、自分の力を過信しているわけでも、仲間を頼らないわけでもない。出来る限り自分で、助力が必要だと思うところまでは。ジータがそういう考え方をするのは、彼女がこの騎空団を作る前からのことだった。
 故郷の島ではビィ一人が家族だった。もちろん村の人間はよくしてくれたが、それでも何もかも頼りきりというわけにはいかない。自分のことは自分でする。無茶して倒れてしまえば結局余計に迷惑を掛けるのだから、必要になれば素直に助けを乞う。生きていくうえで自然とついたその指針は、故郷を離れ、大所帯の騎空団の団長になった今も変わらない。
 よぉし、と意気込んでソファに伸びたジータの頭を彼の手が撫でる。目を伏せたままその感触に微笑みながら、ジータはゆっくりと深呼吸した。
「ユーステスはお休みだよ」
「……そんなに疲れているように見えるのか」
「ううん。でもユーステスが船にいてくれたら安心でしょ」
 そう言えば相手が折れるのではと、互いに分かっていて交わす会話。先に折れたのはユーステスだった。言い出したら聞かない頑固さはもういやというほど知っている。彼女がこうすると決めたなら、彼女とよほど付き合いの長いカタリナやラカムが止めたって聞きやしないのだ。無茶はしないと分かっているのだから、これ以上の駆け引きは必要ない。ユーステスの力を必要とするなら、ジータは彼が疲れていようと遠慮なく言う「付いてきて」と言うに違いないのだから。
 とはいえ今すぐ飛び出していくつもりもないのだろう。ううんと唸りながらユーステスの肩に頭をぐりぐり押し付けてくる少女の下手くそな甘え方を小さく笑いながら、ユーステスは続く彼女の言葉を予想していた。ジータがユーステスの部屋に書類仕事を持ち込んだときからこうなることは織り込み済みだ。
 案の定、ちらと上目遣いに見上げてきたジータはご機嫌を伺うような様子ではにかんだ。
「ねえユーステス、いい?」
「……好きにしろ」
「やった! えへへ、ありがとうユーステス」
 子どもっぽい笑顔を浮かべたジータはソファの上に膝立ちになってユーステスの頭を抱え込む。目を伏せてじっとしているユーステスの髪――の間から伸びる耳にそうっと触れると、その毛並みと感触にとろけるような笑みが浮かんだ。
「ああ〜……ふかふか、ふわっふわ……はああ〜……!」
「……エルーンの耳がそんなに楽しいか?」
 ジータの騎空団にはたくさんの仲間がおり、その種族も様々だ。エルーンの仲間も多い。知り合った頃からよくユーステスの耳を触りたがるジータ本人はエルーンではなく、彼女自身がエルーンであれば自分の耳を触って楽しんでいたのだろうか。
 ジータの指はユーステスの耳の外も内も、ふかふかと生える毛並みの感触を何とも言えぬ絶妙な力加減で満喫していた。彼女の口からはどこか恍惚としたため息が漏れている。されるがままに身を委ねているユーステスもまた、こちらは呆れた様子でため息を吐いた。
「メーテラとかスーテラとか、みんなの耳も触らせてもらったけどユーステスが一番だよ!」
「……そうか」
「うん、一番気持ちいい!」
 耳の内側の柔らかい白い毛を堪能するジータの表情は、頭を抱え込まれているユーステスからは見えない。それでも、彼女が「団長」ではなくただの少女らしい楽し気な様子なのは見るまでもなく目に浮かぶ。黙って大人しく触らせているユーステスも、その口元に小さく笑みを浮かべた。
 ユーステスが好むのは平穏と静寂。そのどちらもが部屋には満ちていたが、けれどそれは不意に近づいてきた足音が霧散させる。音を聞きつけたユーステスは、すぐさまジータの身体を引きはがした。不思議そうな彼女をソファに座らせ、銃を手に取る。そのとき、既に無遠慮な足音の主は部屋の戸を叩いていた。
「団長、いるな。ジークフリートに頼んでいた買い出し、奴の都合が悪くなったので俺とサラ、ヤイアで行ってくる。問題ないな」
「いいけど、荷物持ちは? 付いて行こうか?」
「駄犬がいる。ジークフリートは部屋で休んでいるが心配はない。明日には良くなるから寝かせておいてくれ。ではな」
「あ、はーい。いってらっしゃい」
 用件だけ告げると、声の主、パーシヴァルはさっさと立ち去って行った。あっという間の出来事で驚いたジータだったが、首を傾げつつソファに座り直す。
「寝てるって、ジークフリートさん大丈夫なのかな」
「……寝かせておいてやれ。あいつが言うなら、明日にはいつも通りだろう」
「うん、そうだね。サラとヤイアが付いていったのは、ジークフリートさんが心配だったからかな」
 あの二人はジークフリートさんに懐いてるから、と呟きつつ、ジータの心配そうな顔は晴れない。その心配は無用だろうと予想が付いているユーステスはどうしたものか少し考えたが、馬鹿らしくなってやめた。誤魔化すべきはパーシヴァルのほうだ。自分が骨を折る必要もない。
 軽く頭を振ると、ユーステスは外していたホルスターをつけて銃をしまった。そのまま上着を取り、財布も持つ。出掛けるらしいと気付いたジータもつられて立ち上がると、ユーステスはドアノブに手を掛けて彼女を振り返る。
「食事に出る。ローアインに話を付けてくるから先に降りていろ」
「……! わ、分かった!」
 こくこくと頷いて嬉しそうに頬を染めるジータをちらりと見て、ユーステスはそのまま部屋を出る。ジータは放り出していた書類をまとめて部屋に置きに行き、身支度を整えてから出てくるだろう。時間の猶予は十分にある。先に船の出入り口へ向かうと、子どもたちについて船を下りようとしているパーシヴァルの姿があった。
 ユーステスの様子で出掛けると気付いたのだろう。パーシヴァルは少し驚いた様子を見せてから不意に意地の悪い笑みを浮かべた。
「先ほどは邪魔をしたな」
「……いや。俺たちも街へ下りるが、ジークフリートに薬は必要か?」
 表情を変えぬまま淡々と問えば、パーシヴァルはうんざりと嫌そうな顔をした。からかい返されるのが嫌なら、からかわなければいいのだ。短くため息をつくと、ユーステスはちらりと船の下を見下ろす。先に降りたヤイアたちが手を振っているのに小さく手を上げて返し、それからパーシヴァルへ目を向けた。
「近々、団長があいつらの手を借りる」
「なるほど。であれば、菓子の一つも与えるか」
 分かったと言い、そのままパーシヴァルは船を下りて行った。ユーステスは踵を返し、調理場へと向かう。本来の目的を早々に済ませねば、ジータもそのうち追いついてくるだろう。待たせていては同行者が増えかねない。夕餉の席は静かな方がいい。
 二人分の食事が減るくらいは、育ち盛りや大食らいも大勢乗っているこの船では心配ないだろう。むしろ問題は、二人で出掛けることの困難さのほうだ。ジータの人を惹きつける力は本物だ。それはユーステス自身が一番よく分かっている。
 たまには二人でゆっくりと食事を取るのも悪くないはずだ。日頃抱えるものの多いジータも、自分と二人でいるときくらいは平穏と静寂に身を委ねればいい。
 自分の騎空団の船内で人目を避けて調理場へと向かう不自然さを少しおかしく感じながら、ユーステスは任務を開始した。今宵の任務は、恋人を無事にエスコートすることだ。

11/29:誕生日祝いにあおちゃんの好きなキャラ、カプで
(16.12.04.)