log - 1

・どうして、 (さいちづ/雑記ログ)
・あいくるしい (ひじちづ/雑記ログ)
・惑い (さいちづ/ログ)





どうして、 (さいちづ)




「何故逃げる」

 は、と吐き出した吐息は白く、この部屋が寒いことを教えてくれる。
 そう、寒いのだ。寒くて、寒くて、凍えそう。私の体が震えるのも、斎藤さんの手がとても熱く感じるのも、全部全部、寒いせいだ。決して、怖いからではない。そうだ。そうでなければ、私は――――

「千鶴」
「ひ、っ……!」

 先ほど、押し倒されると同時に力任せに開かれた袷から、するりと大きな手が忍び込んでくる。襦袢と肌の間を難なくすり抜けて、わき腹から腰に掛けてを、何度も、何度も、指先が這い回る。子どもをあやすように、怯える私を宥めるように、力強い手が、私のお腹を撫でていく。
 身じろぎ一つ出来ず、ただただ、震えながら斎藤さんを見上げていた。
 火鉢の火も、行灯の火もない。月明かりさえ、今夜は分厚い雲に覆われて姿を見せない。
 暗がりの中、それでも斎藤さんは、確かに私の姿が見えているようだった。

「さ、いと……さん」
「……柔らかくて、暖かい」
「斎藤、さん!」
「それに……」

 私の上に、斎藤さんがいる。それだけは分かる。
 それしか、分からない。
 どうして、首筋に息がかかるの?
 どうして、斎藤さんの匂いがこんなにそばにあるの?
 どうして、私は斎藤さんがこわいの?

 そばにいて、あんなに安心できると思ったのに。
 黒衣の着物に炊き染めた香の匂いが好きだったのに。
 どうして今は、こんなにも恐ろしいのだろう。

「はぁっ……」
「ひゃ、うっ!」

 生暖かい息が触れた場所に、濡れた何かが触れた。
 ぴちゃりとそれが這った場所に、ふ、と笑ったような声がかかる。
 すぐそばから、唾を飲む音が聞こえた。それから、嬉しそうな声も。

「あまい」
「…………っ!」

 震える私を、斎藤さんの腕が囲っている。腕をつかまれ、圧し掛かられ、私の力では逃れられない檻に覆われている。けれどきっと、そんなものがなくたって、私は逃げられないのだ。
 こわい。
 少し前から鼻がつんと痛むのは、寒さのせいだけではない。もしこの部屋が明るかったなら、私の視界は潤んでぼやけてしまっている。
 それでも、どうしても。

「もっと、早く……こうしていれば良かった……」

 喜びと悲しみの間でうめく斎藤さんに、やめてと言うことができない。
 こわくてたまらないのに、今この人の手を放したら、もう二度と近づけない気がして。
 だから私は、逃げられない。どうしてと、ただ胸のうちで繰り返すしか出来ない。


 やがて斎藤さんの手が帯にかかり、乱暴に解かれていく。
 歯がかちかちと鳴る、その音は斎藤さんの耳にも届いているのだろうか。触れられるたびに身じろいで反応してしまう仕草は、この暗闇の中で目に映っているのだろうか。

「んっ、あ……あぁ……っ!」
「……ちづる」

 いやいやと首を振る私の頬を、斎藤さんの手が撫ぜる。首から胸元、腹へと伝い降りていく、ぬめった舌の暖かさに身震いする。
 触れる手、舌、かかる吐息、睦言。
 すべてが甘く暖かいのに、いつまで経っても私の体は震えるばかりだった。



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(10.03.09.)






あいくるしい (ひじちづ)




 倒錯的といえば聞こえはいいが、要するに好きな女の尻を追い掛け回しているに過ぎない。まだ花開いたばかりの――それだって、土方がこじ開けたようなものだが――その初心な花弁を嬲ること数度。思いのほか心地よく、こう言うとその身ばかり求めているようで癪でもあるのだが、これがまた相当に具合もよく。
 つまるところ、鬼の副長と呼ばれた土方歳三その人は、彼女の体に溺れているのだった。

「――ひ、じかた、さんっ!」

 耳に落ちるは少女の鳴き声、目に映るは弓なりに反る白い背中。
 片手で腿の付け根を掴んだまま、もう一方の手で首筋から背筋をついとなぞれば噛み殺しそこねた悲鳴が零れて落ちた。続く吐息は苦しげに抑えられ、土方の内へどっかりと腰を据えてしまった獣を誘ってやまない。引きつるような呼気が、細い指が握り締めた敷布が、どれも言外にこちらを責めているようで愉快だった。

「なあ、おい。……千鶴」

 泣き出す寸前のような呼吸が、音にならないまま揺れている。目を潤ませ、口をきゅっと結んだ千鶴が恨めしげに振り返った。京の町にいた頃よりずっと長く伸びた黒髪が、背中に細く飛び出した肩甲骨に散っている。
 いつだったか髪結いを任せた折り、土方の髪をきれいで羨ましいと言っていたが、よもや数年の後にその男の汗だの何だのにまみれることになるとは思いもしなかっただろう。土方自身そうであったし、いつしか彼女に劣情を抱くようになったそのときでさえ、現実には有り得ないことだと断じていた。まったく、此岸はいつも予測がつかない。
 うつ伏せに押さえつけられたまま土方を仰ぎ見た千鶴は、時折苦しげに顔をしかめながらも「なんですか、ひじかたさん」と応えた。まったく健気なことだ。こんな、碌でもない男に引っかかるだけのことはある。断腸の思いで、土方がどんなにか思い悩んで覚悟を決めて、そうして安全な場所へ突き放してやったというのに、あろうことか海を越えて自ら飛び込んできてしまった。追いかけてきたのではない。千鶴は土方を捕まえに来たのだ。
 せっかく逃がしてやったのに、と今でも思う。こうして組み敷き、あられもない姿や声を引きずり出し、欲望のままに幼い体を開き、暴き、蕾みをむしって無理やりに花開かせてしまった。そうして露に濡れてなお、一緒にいられて嬉しいなどと言うのだから恐ろしい。羅刹の毒でさえ気力で乗り越えることもあったというのに、理性も本能も、簡単に千鶴へと奪われる。

「痛いか?」
「……くる、しい……です」
「……好くはなってねえのか」

 残念そうに、けれど楽しげに小首を傾げて見せると、千鶴は赤い顔をさらに赤くして唇をわななかせた。何か喚こうとしたようだが、言葉にならず切なげに目を細めるだけに終わる。その色の深さにまた土方はぞわりと身を震わせることになるのだが、惜しいことに、千鶴にはその意図がない。狙わずとも男をもたげさせる術を知っているのか、あるいは些細なことにさえ愛しさを感じてやまない土方のせいか、定かでない。
 育ってしまったものは仕方がない。丁重にお返しするまでだ。
 苦しかろうな、と思いつつ、先ほど全て納めたと言ったはずの場所を更に深く抉っていく。「うそ」だの「いや」だの善がり始めた千鶴の悲鳴に、緩やかな痛みを覚えた。
 己の欲望ばかりを吐き出していくこの身を、いつまでも恨めばいい。遺されたものを抱いて、この楔を何度でも思い出せばいい。そうして逃れられぬまま、どうか、少しでも永く。

「這い蹲って、生き延びて……。こんな、いいモンを味わえるとはな。まったく、長生きしてみるもんだぜ」

 行為の度に幾度となく繰り返す軽口が震えてしまうことに、最期まで気づかなければいい。身勝手な男に、ついぞ振り回されてしまえばいいのだ。
 果たしてこれが優しさであるのかどうかも分かりはしない。ただの男の意地かもしれない。それだって構いやしないだろう。土方がこうと決めた道を進むしか出来ない男だということは、とうに千鶴も承知している。

 初めて抱いたそのときから、一つ残らず注ぎ続けていた。滅び行くこの身に二度と追いすがったり出来ぬよう、愛しい女を抱いて呪い続ける。


 どうか、どうか、一刻もはやく身篭ってしまえ。



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もう二度と、後を追う気など起こさぬよう (愛苦しい)
(10.03.13.)







惑い (さいちづ)




 夜を重ねるごとに寝付けなくなっていくのを感じていた。廊下の床板を静かに軋ませ、今にも彼がやってくるのではないか。その予感がいつまでも千鶴を取り巻いて、夢と現の境を踏ませない。眠れなければ、そしてそれを彼に見咎められれば、夜の訪問は確実に訪れる。
 夜の黒に身を潜めて千鶴をおとなう彼の目的はただ一つ。千鶴を抱くためだ。
 寝かせるために抱き、抱かれるのではと困惑して眠れなくなる。この堂々巡りは一体いつまで続くのか、おそらく二人のどちらもが見失っているに違いない。


「は、う……くぅっ」

 腕を通すだけとなった寝巻きの前身ごろは大きく寛げられ、薄い身は斎藤の胸元にぴたりと抱き寄せられている。布団の上に座る斎藤の膝の上に抱き上げられ、千鶴はぶるりと身を震わせた。斎藤も既に半ば着物を脱いでいるが、まだその楔に貫かれてはいなかった。
 長く続く快楽が苦しくて気が狂いそうだと千鶴が涙を浮かべるまで斎藤の愛撫は続く。それが彼なりの優しさなのだとは分かっている。いつだったか、切羽詰った様子の彼に抱かれたときは前戯もなしに入れられて、比喩でなく本当に死んでしまうかと思った。失神した千鶴が目を覚ましたときは、己の非を後悔した斎藤が、これもまた比喩でなく本当に死んでしまいそうなほど青ざめながら謝罪を繰り返していた。痛みを和らげるためには必要なことなのだとよく分かったし、斎藤が千鶴のためを思って、無茶苦茶にしたいときもあるだろうに自制してくれているのだということも分かった。男なら誰しも持っているであろう征服欲を、そのまま受け入れられない申し訳なさはあったが、幾度か夜を過ごした今も、まだ、この享楽に慣れることはないままだった。
 斎藤の膝の上、向かい合って抱きしめられた千鶴の秘裂へ、尻を撫でていた斎藤の指が埋もれていく。硬く乾いた指先が熱くぬるついた愛液を絡ませながら抜き差しを繰り返し、ざわざわと背筋を這い登る快感に身じろいだ千鶴の腰が浮く。縋るように斎藤の首へ絡みつく細く白い腕は既にしっとりと汗ばんで、けれど、自らの動きが生み出したまた別の感覚に「ひっ」と色めいた悲鳴が上がった。

「あ、ああっ……!」

 しとどに濡れそぼり、溢れ出した蜜が内股を伝い、斎藤の指を伝い、彼の身を濡らしていく。けれどその雫に触れるまでもなく濡れたものが、腰を浮かせた千鶴の陰核をこすったのだ。

「落ち着け、千鶴」

 頭を千鶴に抱えられたまま、宥めるように斎藤の手が千鶴の背を撫でる。斎藤の身体からわずかばかり身を離すようにして浮いた腰を下ろした千鶴は、再び内襞をなぞり始めた斎藤の指の動きに意識を奪われる。無意識のうちに逃れようと動いてしまう千鶴の腰が浮かぬよう、今度は斎藤が空いた腕をしっかりと回すことで押しとどめている。強く引き寄せられるように抱かれ、千鶴の薄い身体はぴったりと斎藤にくっついていた。

「あ、だめ……や、あう……っ!」
「……もう少し、堪えてくれ」

 ぶるぶると震えながら耐える千鶴を気遣って、こめかみに斎藤の口付けが降る。しかし、千鶴が耐えているのは下肢を嬲る指の感覚だけではなく、いま差し迫っているのは全く別の――



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(10.08.27.)