「斎藤、そいつはいいから千鶴を何とかしろ」
「……はい。すみません」

 腹が減ったと言っていたのはただの口実ではなかったらしい。手つかずの皿に手を伸ばし始めた土方へ頭を下げて、斎藤は傍らの千鶴へと視線を戻した。まだくだを巻こうとする永倉には、千鶴に見えぬよう眼の動きのみで「平助を連れて下がれ」と睨みつける。斬り合いよりはマシだと判じたのか、あるいは斎藤の頭に血が上っていると察したのか、永倉は今にも潰れそうな平助を引きずって原田の方へと離れていった。酔っている割りには賢明な判断だが、その八割以上は斎藤が知らずに発している殺気のせいに違いない。
 その場に残されたのは、両手で顔を覆って泣き続ける千鶴のみ。ちょんと座った正座の白袴に、腕を伝い落ちた涙のしみが出来てしまっていた。
 斎藤が土方を呼びに出てから、そう長くは経っていないはずだ。席を立つ以前より原田たちのほうへ呼ばれていってしまっていたが、楽しそうにしていた。酔っ払いを相手させるのは、とも思ったが、ほんの少し目を放すだけのことだ。問題ないだろうと踏んでいた。それが失策だったのだ。
 十中八九酒のせいだとはいえ、常日頃明るく振舞っている千鶴の涙に斎藤は少なからず動揺していた。泣くこともあるだろうとは思っていたし、実際、少し塞ぎ込んでいるような日も稀にあった。慰めてやれるような立場にないと分かっているからこそ、そういうときには不用意に立ち入らぬよう離れていた。他の輩が近づかぬよう気を配るくらいしか斎藤にはしてやれることがない。泣いた女の涙を止める術などもっていないし、これまで泣かせたくないと気を掛けるほどの相手もいなかった。放っておけばいつかは泣き止むと、そう思いただ時が経つのを待つばかりだったのだ。
 けれど千鶴は違う。放っておけば泣き止むなどと、そんな突き放すようなことが出来るはずがない。
 聡く、懸命な少女だ。根っから素直で純粋なのだろうが、努めて明るくしているというのもあるだろう。今さら遠慮することなどないと言ったところで、どうしたって千鶴は気を遣う。迷惑を掛けたくないと、そう願う気持ちは分からなくもないが、妙なところで頑固なのも困り者だ。
 今度のことだって、正気に返ったなら酒席でのこととはいえやはり気にするのだろう。酔って手間取らせるなど千鶴にとっては恥もいいところだ。泣いて困らせたなどと知れば落ち込んでしまうに違いない。せめて記憶が飛んでしまえば、と思いつつ斎藤は重苦しいため息をついた。
 繰り返すが、土方の命とは別にしても、斎藤には泣いている千鶴を放っておくことは出来ない。けれど、泣き止ませる具体的な案がある訳でもないのだ。どうしたものかと、痛ましい姿をじっと見つめる。
 酒に当てられて血色の良くなった肌は、日中のほとんどを屯所内で過ごすせいか透き通るような白さだった。時折触れる指先はいつも温かいが、今触れればもっと熱いのだろう。喉を震わせて泣く、その嗚咽もまた日頃とは違う危うさを孕んでいる。「斎藤さん」と己を呼ぶ声が耳に心地いいのに比べ、この泣き声のなんと切ないことか。胸の苦しさと共にこみ上げる何かが、斎藤までも押し潰そうとしている。
 乱れそうになる呼気を吐き出したところで、不意に背後へ別の気配が近づいた。足運びや身にまとう雰囲気で気配の主を悟ると、スイと目を細める。

「余計なことはするなよ、総司」
「何、その言い方。ひどくない? 僕まだ何もしてないし、言ってもないでしょう」
「何かされてからでは遅いから先んじて言っている。こいつは何も悪くない。これ以上追い討ちを掛けるような真似はするな」
「何も悪くない、ね。……そうかな?」

 警戒もあらわにねめつける斎藤から目を離し、沖田は膝をついて千鶴の顔を覗き込んだ。
 俯いて顔を覆っているから表情は分からないが、止まらない涙と嗚咽で想像はつく。時折むせながら泣き続ける千鶴の手首をおもむろに掴むと、沖田は首を傾げた。

「ねえ、どうして泣いてるの? 何も言わないんじゃ、どうしようもないじゃない」
「ふ、うっ……! ひっ、うう……うぅ……」
「やめろ、総司」
「ねえ、千鶴ちゃん。理由が言えないなら泣かないでよ。意味が分からないままだと、僕イライラするんだよね。泣くなら理由を話してからにしてよ」
「総司!」

 冷ややかな声が滔々と千鶴を嬲っていく。問い詰めるような沖田の台詞に制止をかけた斎藤は、けれどすぐさま沖田の不機嫌な眼差しに斬り返された。

「やめないよ。このまま、ただオロオロしてるだけのつもりなの? それじゃ何の解決にもならないじゃない」
「それはそうだが、しかし……」
「……千鶴ちゃん。僕ね、今ちょっと機嫌悪いんだ。どうしてか分かる?」

 意見は尤もだが、物には言いようがある。そう言い返そうとして、斎藤は口を噤んでしまった。沖田の言い方はひどいが、かと言って他の言葉が思い浮かぶでもない。悔しいが、手詰まりなのだ。
 考えなしに千鶴を責めているわけではないのだと半ば自分へ言い聞かせるように納得すると、ひとまず沖田のやりようを見守ることにした。
 沖田の手は未だ千鶴のか細い手首を掴んだままで、伝う涙が沖田の指まで滴っていく。その濡れた感触に一瞬目をすがめ、沖田はじっと千鶴を見つめる。
 酔っていても、顔を覆っていても、見っともなく泣きじゃくっていても、沖田の言葉は千鶴に届いている。きつい言葉を投げかけたとき、びくりと肩が揺れたのが何よりの証拠だ。酩酊した頭でも理解できるよう、殊更噛み砕いた言葉を選んで話を続ける。

「人の話を聞くときは、相手の目を見るものじゃない? それとも、僕の話なんて聞けないのかな」
「っく、……っ」
「――うん。いい子」

 沖田の言葉に反応して、千鶴は恐る恐る顔を上げる。手で押さえ込んでいたせいで顔のあちこちが濡れてしまっているが、構わず沖田は笑みを浮かべた。涙はまだ止まらないようだが、目が合っただけでも及第点だ。
 掴んでいた手首を放し、親指でグイグイと濡れた顔を拭ってやると驚いた千鶴がきゅっと目を閉じる。その瞬きでまた一筋涙が流れ、思わず吐き出しそうになったため息を何とか飲み込んだ。勢いは落ち着いたものの、まだ後から後から涙は溢れてくる。拭っても意味がないと手を止めた沖田は、すっかり濡れてしまった手のひらでそうっと千鶴の頬を包み込んだ。
 濡れた睫毛が上下するたび、ほろほろと涙が零れていく。泣きはらした瞳は涙に濡れて輝き、酒気にのぼせた頬は赤く染まり温かい。嗚咽のため小刻みに震える唇まで涙で濡れるのを見て、ああ、と漏らすのを止められなかった。
 ――まったく、少し目を放すとこれなんだから。
 胸中で一人ごちると、ぎりぎり堪えている忌々しい感覚がまた湧き上がってきそうになる。今ぶちまけたところで仕方がないからとそれをまた抑え込んで、ゆるりと反対に首を傾げた。

「それで? どうして泣いてたの? 嫌なことでも言われた?」

 きゅっと口を一文字に結んだ千鶴は、沖田に頬を包まれたまま、小さく首を横に振る。そう、と呟いて沖田は頷いた。
 いくら酔っていようと、原田たち三人は千鶴に甘い幹部の筆頭だ。そうそう傷つけるようなことは口にしないだろう。うっかり無神経なことを漏らした可能性は十分にあるものの、それならそれで、それを詫びようとするだろう。しかし原田も平助も困惑しているだけで原因は分かっていないようだった。相当酔いが回っていそうな永倉と平助は当てにならないとしても、原田の言いようは嘘偽りのないものだ。酔い始めた斎藤から千鶴を引き離してやろうとした原田だから、酩酊するまでには至っていないと信じられる。
 視線を宙に浮かべて他の理由を探した沖田は、千鶴の顔を固定したまま再び口を開いていく。

「どこか痛い? 頭とか、お腹とか」

 ゆるゆる。首は横に振られる。

「左之さんたちに何かされた訳でも、どこか苦しい訳でもないんだね?」
「……み、なさん、は……わ、わる……く、ないっ……です」
「そっか。そうだよね、みんな君には優しいもの」
「……っ、は、はい……っ」

 今度は縦に頷こうとした千鶴の目尻から一際大きな涙の粒がほろりと流れて、それは沖田の手のひらを伝い落ちていく。甲を伝って袖の中まで流れていく感触にほんの少し顔をしかめつつ、気を取り直して千鶴の目をじっと見つめた。
 手のひらですっぽりと包み込めてしまうほど小さな顔は、瞳を揺らしながらも沖田をちゃんと見返している。こんなときまで言われるがまま正直に従っているのが、少し可笑しい。それが千鶴の美徳なのだろうと思いながら、涙の理由を探した。

「じゃあ、どうして泣いてるの? 僕がからかったって、そんなに泣いたことないよね」
「総司。泣かせるようなことはするなと以前から言っているはずだが」
「そうだね。はい分かりましたって返事をした覚えもないよ?」
「……千鶴。少し、いいか」

 これ以上は言っても詮無いと諦めた斎藤が、沖田の右腕に手を掛ける。それまで様子を伺っていた斎藤がどうするつもりなのかと横目に伺った沖田は、仕方なく濡れた頬を包む手を下ろした。
 いつも以上に真剣な斎藤のまなざしの奥底に、どこか痛ましいものを見るような、悲しい色合いが見え隠れしている。その表情を見て、沖田もようやく涙の理由へとたどり着いた。思えば、千鶴の懸念といえばそれしかないのではないか。
 幾ばくかの核心を抱えたまま、斎藤はそっと千鶴の手先に触れる。握ればまた泣き出してしまうのではないかと恐れるように、指先だけを重ねて千鶴を見つめた。

「綱道さんのことか?」

 囁くように吐き出された問いに、千鶴はくしゃりと顔を歪める。咄嗟に指先を握ると、驚いてそちらに目を落とした。

「……心配なのは分かる。だが、俺たちも探すのを諦めた訳じゃない。だから……そんな風に泣くな。お前が泣けば、きっと綱道さんも心配する」
「心配したから見つかるって訳でもないしね。それならとっくに見つかってるだろうし」
「総司!」
「――いい、子に」

 揶揄するような口調に戻った沖田を斎藤が咎めたとき、握られた指先に視線を落としていた千鶴がぽつりと呟いた。泣き出して以来、沖田との問答以外では言葉らしい言葉もなかった千鶴の発言に、沖田もわずかに目を瞠る。その指先がわずかに震えるのを感じて、斎藤は握る力を強めた。
 俯き加減に口を開いた千鶴の顔色は、酔いによる赤らみを除けば決していいものとは言えない状態だ。朦朧としたまま紡ぐ言葉が、いつになく不安に彩られ、震えていた。

「いい子にして、待ってなさいって……父様は、いつも言ってました。だから、私、いつも……いい子に、して」

 折々に聞いた、千鶴と綱道の暮らしぶりを思い返せば、そのやり取りすら容易く想像が付いた。医者である綱道は往診のために家を空けることが以前から度々あったらしい。今回京都へ赴くというのも、いつもの往診が少し大げさになったくらいだと捉えていたのだろう。
 千鶴の優しい性根や育ちの良さからも窺い知れるが、綱道はたいそう娘を可愛がっていたのだろう。京ほど治安が乱れていないだろうとはいえ、まだ幼い娘を一人残して家を空けるのだ。家を出る間際、互いを案じる様がありありと目に浮かんでくる。
 いい子にしていなさい。急いで帰るからね。
 幼い頃より、その言葉に「はい」と頷いて千鶴は帰宅を待っていたのだ。大好きな父の言葉を信じ、ただ一人で。

「わたしが……いい子、に、してない……から……っ!」

 一旦は治まっていた涙が、またぼろぼろとあふれ出し、斎藤に握られてなお震える手に落ちた。
 屯所へ来て、すでに随分と時間が経っている。それだけの間、千鶴は父の言いつけを守り続けていたのだ。いい子にしていれば、また会える。生きてさえいれば、きっと。
 捜索に尽力しているという新選組からの言葉と、父からの約束だけが千鶴の心を支えていたのだろう。当初、まだ隊士たちが千鶴に気を許す前は、それだけが頼れるものだったに違いない。
 綱道の知り合いであるという医師、松本には出会えた。隊士たちとも今は心を通わせている。それでもなお、千鶴は父の言葉を守り続けているのだ。幼い女が身一つで京へ上るなど正気の沙汰ではない。それでもなお、強行するほどに千鶴の想いは強いのだ。唯一の肉親に会いたいというその気持ちは推測するしか出来ないが、同じく、強い想いというものは斎藤や沖田の中にもある。

「どうして急に、綱道さんのこと考えたの?」

 今度は千鶴が目を瞠る番だった。こぼれる涙を拭う斎藤の指にも気を取られつつ、優しく目を細める沖田の言葉にかくんと首を傾げる。
 手では追いつかぬと斎藤が手ぬぐいを取り出して頬に当てたころ、沖田はやんわりと千鶴の前髪を撫で付けた。

「寂しかったんじゃない?」

 沖田の言葉に、千鶴は大きな目からまた一滴涙を零す。頬を伝う前に拭った斎藤は、ただ黙したまま沖田の言葉を聞いていた。
 酔いが回り、にぎやかな原田たちのそばで笑っていた千鶴がどんな思考を辿ったのか。大勢での食事をにぎやかで楽しいと捉えた千鶴なら、にぎやかでない酌を思い出しても不思議ではない。
 仲睦まじい父娘二人。綱道の職が医者であったこともあり、貧しい生活ではなかったのだろう。酒を嗜む晩もあったに違いない。

「馬鹿だよねえ。言いたいことがあるなら言えばいいじゃない。別に、ちょっと嫌なこと言われたくらいじゃ斬ったりしないよ」

 そこまでガキじゃないし、と付け加えて立ち上がった沖田は、意味ありげに斎藤を見て、千鶴の背後に回ると再度腰を下ろした。振り返ろうとする千鶴の腹に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ額を肩口に押し付ける。

「もっと頼りなよ。もっと、色々話せばいい。君が思うよりずっと、僕らは君のこと、気にしてるんだから」
「おきた、さん?」
「――総司の言うとおりだ。何もかも自分で抱え込もうとするな」
「……さいとう、さん?」

 背中と腹に感じる沖田の温かみと、正面から涙を拭い手を握ってくれる斎藤のまなざしと。どちらも気になる千鶴は困惑したまま視線を往復させている。
 擦り寄るように千鶴の温もりに頬を寄せた沖田は、ふわりと香る、酒ではない匂いにまぶたを閉じた。子ども子どもと侮っていても、やはり女である。女性特有の柔らかさは感触だけではなかった。けれど、性を感じるよりはずっと穏やかな気持ちになっている。商売女の色香を好まない沖田でも、手元に置きたくなる。あったかい、と呟いてしまえば、うとうとと意識も沈むほどだった。
 口を噤んだ沖田に変わり、言葉尻を拾った斎藤が言葉を重ねる。

「何かあれば言うようにと、俺は言ったはずだ。出来る限りで対処すると、そう最初に伝えただろう」
「は、はい……」
「不安なら、そう言えばいい。お前を楽しませるようなことは出来なくとも、話を聞くぐらいは出来る。気晴らしに外へ出るのなら、それでも構わん」

 指先を握る手に力がこもる。酒の力を借りねば泣けぬほど己を殺すなど、千鶴がすることではない。千鶴が正直で懸命だというのは、少しそばにいればすぐに分かった。だから皆、彼女に気を許すのだ。弱音を零さず泣き言一つ漏らさないその姿は感心するに値する。けれど、そうであれと望んだ訳ではないのだ。
 感情の起伏があまり出ないという己の顔を、このときばかりは惜しく思う。彼女を案じてこれほど苦しむのだと、少しでも伝わればいい。皆が皆そうに違いないのだ。沖田の言うとおり、千鶴が思うよりずっと、彼女は皆の心に大きく存在している。

「お前が何を好むのか俺には皆目検討もつかないが、どこへなりとも付き合ってやる。俺の手が空いていなければ、総司でも、平助や左之でも構わん。誰かしら手隙の者がいるはずだ。遠慮せず声を掛ければいい」
「でも……」
「あのさあ、僕らってそんなに頼りない? 君一人連れ出せないほど甲斐性なしだって言いたいのかな?」

 からかうような口ぶりで沖田が言えば、千鶴はそんなことはないと慌てて首を振った。斎藤は、どうしてそういう言い方しか出来ないのかと半ば呆れつつ、けれど千鶴の性格をよく掴んでいるのだなと考える。沖田もよく千鶴を見ているのだ。近藤の邪魔をしないから、ではない。それ以上の存在として、彼女を気に入っている。そもそも、眼中にない相手とは会話も嫌がるような男だ。気に入りでないはずがない。

「寂しいっていうけど、僕だってさっきは寂しかったんだよ? 最初は一君につきっきりだし、その後は左之さんたちに捕まってるしさ。僕、まだ君にお酌してもらってないんだけど」
「お前は近藤さんたちと飲んでいただろう」
「あとで千鶴ちゃんも呼ぼうと思ったんだよ。そしたら、君が独り占めしてたんじゃない」
「……別に、俺はそんなつもりなど……」
「ねえ、千鶴ちゃん。酔っ払ってないで、ちゃんと僕の相手してよ?」

 否定しつつも言葉に詰まった斎藤をよそに、顔を上げた沖田は後ろからぎゅうぎゅうと千鶴に抱きついた。驚いて、あるいは酒気でない何かに当てられてか、千鶴の頬が朱に染まる。目を丸くして困った顔をする千鶴に、沖田はにこりと目を細めた。やはり、からかっているときのほうがいい顔をする。泣き顔よりずっといい。
 言い返すのを諦めた斎藤は、そんな沖田の腕から千鶴を助け出しながら再び口を噤んでいた。沖田の言葉で先ほどの宴席を思い出し、ほんのわずか感じていた満足感の正体を知ってしまったからだ。言わねば分からぬことはたくさんあるが、分かったところでどうすることも出来ないこともある。それでも、気づかなければ良かったとは思わなかった。この想いを秘めていれば、次は泣かせる前に気づいてやれるかもしれない。
 酔っているな、と思いながら、なかなか離れない沖田の襟元を掴み、力任せに引き剥がす。

「ああもう、また独り占めしようとして! いい加減にしろよ、このむっつり!」
「だっ、誰がむっつりだ! お前こそ、気軽に抱きついたりするな!」
「あ、あの……お二人とも、け、けんかは……!」

 沖田と斎藤に挟まれ、引かれ、困惑した千鶴はまた涙目になっていたが、今度ばかりは酒のせいではないだろう。二人は聞く耳を持たず、けれど妙なところで息が合ってしまうのか、同時に言葉を発した。

「また泣いちゃったじゃないか! 一君のせいだからね!」
「また泣かせたな! もう我慢ならん、以前からお前は!」






「完璧に酔ってやがる」

 喧々囂々と言い争い始めた二人の間で、今度ははっきりと分かる理由で千鶴が泣いている。が、それを眺めつつ土方はため息をつくだけだった。残り物を食いつくし、腹は満たされ眠気もやってきている。

「おい原田、適当なところで千鶴を回収して来い。平助と新八はここでも構やしねえが、あいつはここで寝かせられねえ」
「ああ。けど、もうちょっと待ってからにするぜ。馬に蹴られるのはごめんだ」
「……あいつらの馬が合わなかったのが救いだな」

 ああして牽制し合っている内はどうにも転ぶまい。相手の先を行こうと千鶴を気遣うのなら、それはそれで好都合だ。手を組んでしまうのでなければ、当分千鶴の身の安全は保証できる。
 後から追加で作ったという皿に、わざわざ沢庵まで乗せられていたのは黙っていたほうが身のためだろう。先んじて酔いつぶれた平助たちを一瞥し、土方は黙々と残りの惣菜を口に運んでいった。







(10.03.11.)