愛を知った日





「十四?」
「そう。それで……察しはつくだろうけど、その子も色々訳ありだから面倒見てあげてちょうだい」

 スメラギの言葉にあいまいな相槌を返しながら、まいったなと内心ため息をついたことを覚えている。その時点で揃っていたマイスターの中では自分が適任だったのだろうが、それにしたってずいぶんと手を焼きそうだ。その子も、というのがまた気を重くさせる一因でもあったのだけれど、それはあまり、そのときは気にしていなかったように思う。マイスターたちには各々軽々しく口に出来ないような過去があり、それらが最高レベルの機密事項で、話す必要もなかったからだ。
 それが刹那のことを聞いた初めてのとき。今から3年前のことだ。




「刹那!」
「――ロックオン」

 呼ばれてすぐ振り返った刹那が、立ち止まってからこちらへ戻ってきた。半重力の勢いを殺して足を着くと、ずいぶんそばから見上げられる。じっと見つめてくる刹那の目を覗き込むようにして見下ろすと、刹那はそこでようやく眉をひそめた。

「なんだ?」
「ん、ああいや……今、時間あるか? アレルヤが戻ってくるときに土産買ってきたらしくてな」

 一緒に行こうぜと言えば、こくんと頷きが一つ。土産はどうやら食い物らしいと話しながら食堂へ向かう道すがら、こちらを見上げて話を聞いている刹那になんだか嬉しくなっていた。
 当初は呼んでも無視。そのうちチラリと振り返るようになって、けれど足は止めてくれなくて。フルネームから「ロックオン」と呼び捨てされるようになって、足を止めて待ってくれるようになって。正直、それが最高だと思っていたから意外で、嬉しくてたまらない。ここまで慣れてもらうには相当手が掛かったけれど、これだけ気を許してくれるとその甲斐もあったというものだ。
 鼻歌でも出てしまいそうだと思いつつ、船内の廊下を文字通りすべるように進んでいく。角を曲がるとき、手すりに手をかけて遠心力と慣性を抑えつつ、つい刹那に手を伸ばしてしまった。
 うっかりだ。自分が手すりを頼ったから、同じように刹那は自分を頼ればいいと無意識で手を差し出してしまった。
 しまったと思ったが、出した手のひらは空を切らなかった。当たり前のように重ねられた手を、当たり前のように引く。トンと軽くぶつかって、刹那が腕の中に納まる。
 驚いた。思わず目を丸くして見下ろしていると、腕の中の刹那も驚いた様子で見上げてきた。無表情に近いその顔に、しかしバッチリと羞恥を見つけてしまう。逃げていく前に、これもまたうっかり、手をぎゅっと握っていた。

「刹那」
「……なんだ」
「いや……うん、なんでもねぇ」

 握った手は振り払われなくて、それはそれは不思議だったのだけれど、そのまま自分よりは小さな手をしっかりと握り締めて先を急いだ。急いだくせに、もっと遠ければいいのにと勝手なことを思っていた。




「それで、そう、ハレルヤが……」
「まあいいじゃない。ミッションは無事に終わった訳だし」
「スメラギ・李・ノリエガ、あなたは甘い」
「あら、そうでもないわよ」

 食堂はアレルヤを中心に、というよりはアレルヤの土産らしい菓子の包みを中心に、幾人かが取り囲んでいた。主だった面子は揃っていて、どうやら自分たちが最後らしい。
 自分とはタイプが違うものの心配性で気をすり減らすところがあるアレルヤは、今回のミッションについてスメラギやティエリア相手に話している最中のようだ。割って入るほど飢えてはいないけれど、と一旦足を止める。
 しかしアレルヤはすぐに喜色を浮かべた。こちらに気付いたらしい。

「刹那、ロックオン。ただいま、お土産取ってあるよ」

 目前の箱から三つ四つ見繕ったアレルヤは、それをそのままスメラギに掠め取られて苦笑いになった。アレルヤはテーブルを挟んだ向こう側にいたから、代わりに渡そうとしてくれたのだろう。スメラギは近づいていた刹那へ「手を出して」と言ってからそれをポンと押し付ける。
 スメラギが渡そうとするのを察して急いで手を離したけれど、そのときまで手をつなぎっぱなしだったことも忘れていた。ついうっかりにもほどがある。
 刹那の両手を皿にして乗せられた個包装の菓子は何だかどれもこれも小ぶりでかわいらしくて、おそらく土産のメインターゲットは女性陣なのだろうと察しがついた。

「刹那、甘いもの嫌いじゃなかったよね」
「問題ない」
「そっか。よかった」

 刹那がおかえりと返さないのはもう仕方のないことで、口にしないだけで無事の帰還を歓迎する気はあるのだということをアレルヤもよく分かっている。菓子を受け取った刹那に分かりきった確認を取ると、人の好く笑みを浮かべてみせた。こういう穏やかなところは刹那も気に入っているはずで、きっと喉元で止まっているだろう言葉を促すために背中へ手を添える。

「ほら刹那、言うことあるだろ?」
「――ありがとう、アレルヤ」
「うん、どういたしまして」

 嬉しそうなアレルヤに、刹那は照れくさそうに視線を落としてしまった。見守るクルーの視線が暖かいけれどちくちくとかゆくて、隣にいる自分までむずがゆくなる。ティエリアまで目を細めて見ているから、逃げるように刹那の視線を追ってしまった。
 刹那は手のひらの菓子をじっと見ていた。刹那は、アレルヤに答えたとおり甘いものは嫌いじゃない。ソレスタルビーイングに入るまでは菓子に縁もなかったというから、もの珍しさも手伝っているのかもしれない。どれから食べるか迷ってるのだろうかとこっそり笑みを濃くしていると、刹那がくるりと振り返った。

「ロックオン」
「ん?」
「……ロックオン」
「うん、なんだ?」

 菓子を乗せたままの両手をずいと突き出されて、とりあえず菓子が落ちないよう刹那の手ごと捕まえる。すると刹那は少し顔をしかめて「違う」と首を振った。

「持ってたらいいのか?」
「違う、半分だ」
「半分?」

 眉根が寄りそうになったところで、アレルヤが慌てたように口を挟む。スメラギは今にも声を出して笑いそうだった。

「刹那、それは全部刹那のだよ! ロックオンのは、こっちに別にちゃんとあるから」
「……そうか」
「ごめん、ちゃんと言えばよかったね」
「いや、……すまない」

 手を包まれたまま首を捻ってアレルヤに答えた刹那は、こちらへ向き直ると「おい」とぼやいた。それがあまり機嫌のいいときの呼びかけではなさそうだったのに、つい、ぼんやりしていた。
 本当に今日はついうっかりが多い。

「あんたのはあっちだ」
「あ、ああ。そう、……そうだ、刹那」
「なんだ?」

 今になって手が震えそうになる。ああ、しまった、ついうっかり感動してしまった。
 周りの暖かい視線は今や自分へと向けられていて、きっと刹那でなければみんな何を言おうとしているか分かってしまっているんだろう。どう言えば伝わるか、それを考えるのももどかしくなって音を探す。

「ありがとな」
「……礼はアレルヤに言え」
「それはそうなんだが、そうじゃなくてだな」

 言葉にしたら刹那は嫌がりそうな気がする。どうしようか、と少しだけ考えて、しかしそのまま勢いで言ってしまった。ええいままよ、と包み込んだ手に力もこめる。

「半分分けようとしてくれたんだろ。ありがとうな」
「だが、実際には何もしていない」
「そんでもだよ。気持ちが嬉しかったんだ。だから礼」
「そういうものか?」
「そういうもんだ」

 そうか、と呟いた刹那は視線を落として、しばらくして背後のスメラギを振り返った。やってるこちらも恥ずかしさは感じていたが、そばで見ていたスメラギは、声に出してはいないものの顔はほんのり赤く染まり、笑いを堪えているのは明白だ。その笑いが微笑ましさから来るものだと分かっていても、こちらとしては居たたまれない。
 そんなスメラギの様子を何ら気にすることなく、刹那はスメラギにも「ありがとう」と言った。

「え、わ、私?」
「渡してもらった。気遣いに感謝している」
「そんな大層なことじゃないけど……そうね、うん。どういたしまして」
「ああ」

 よしと頷いた刹那は思い出したように再びこちらを振り仰いだ。手を掴まれたままでは動きにくかろうにと他人事のように考えて、そういえば掴んでいるのは自分だったなと認識する。本当に今日はどうかしてるらしい。
 刹那は包まれたままの手を少し見ていたけれど、それほど気に留めもせずこちらを見上げた。

「これでいいか」
「ああ、上出来だ」
「そうか。ありがとう、ロックオン」

 これは「どういたしまして」と返す場面だと頭では分かっていたのに、ついうっかり今までの――刹那が全く心を開いてくれなかった頃の苦労が走馬灯のように駆け巡ってしまって、感極まってしまった。心のままに動くなら、抱きしめて持ち上げてぐるぐる回りたいくらいだ。でもそれでは刹那がブチ切れるだろうからと踏みとどまって、とても長い、不自然な間を空けて「どういたしまして」と絞り出した。
 きっと顔はだらしなく緩んでいて、目じりも下がってしまって、大喜びしていることは周りにバレバレなのだろうが仕方がない。ついうっかり泣きそうになっているのも仕方がない。嬉しかったのだから。

「刹那。せっかくもらったんだ、それ食べてみろよ」

 誤魔化すようにそう言って、やっとなんとか手を離すことが出来た。思うように動かせないほどぎこちなく固まってしまっている指を後ろ手に隠して、ぎゅうと握り締めた。
 どれから食べようか、今度こそ迷い始めた刹那にスメラギや他のクルーから「あれが美味かった」「これがよかった」とアドバイスが飛び交う。言われるたびに首や視線で頷いて、刹那が菓子を口にする。
 「うまい」とこぼした台詞にアレルヤが「ありがとう」と言って、刹那は不思議そうにしながらも「どういたしまして」と返していた。
 顔が笑ってしまうのはもうどうしようもなくて、本当に涙が出そうになって誤魔化しに吐いたため息はずいぶんと幸せそうに弾んでいた。

「刹那」
「なんだ?」

 アレルヤに手で示して、二つ目を飲み込んだ刹那に自分の分の菓子を追加してやる。てっぺんから二つだけ取って一つは自分に、一つは刹那の口に放り込む。

「やるよ。いい気分にさせてくれた礼だ、受け取れ」
「こんなにはいらない。第一、お前のがなくなる」
「いいんだよ。おにーさんの奢りだから、食え食え!」

 今度こそ不審そうに顔をしかめて、けれど周りから口々に「もらってしまえ」と言われて疑問や文句を飲み込んだ刹那が首を捻りながら「ありがとう」と言って、そこでようやく、きちんと「どういたしまして」を言うことが出来た。

 もちろんその後はアレルヤに「ありがとう」を言って、「どういたしまして」と返され、一拍置いて笑ってしまった。アレルヤはひとしきり笑った後に「刹那にありがとうだね」と言ってまた笑っていた。







(09.04.12.)